ちょん だ む どんす ゃ ん だ る。 もるだの塔/裏風俗データベース(日本裏風俗一覧)

ちょんの間の魅力と遊び方【全国ちょんの間スポット付き】

ちょん だ む どんす ゃ ん だ る

もくじ• 黄金町は「関東最大のちょんの間街」として大人気だった 黄金町にあった風俗店のほとんどは「ちょんの間」と呼ばれる店でした。 ちょんの間では4畳ほどの狭い部屋があり、男性客は部屋の中で女性とセックスを行うことができます。 時間は1度のプレイで20~30分と短時間で、料金は1万円が相場でした。 黄金町のちょんの間は2階建ての建物で営業されていました。 1階が受付のカウンターとなっており、受付をすませた男性客は女性と2階でプレイを行いました。 ちょんの間街として有名な風俗街に「大阪の飛田新地」があります。 黄金町のちょんの間の仕組みは飛田新地と似ていました。 黄金町のちょんの間のサービス内容は、男性にとって大きな魅力でした。 そのためガード下はたくさんの男性客でにぎわいました。 かつての黄金町駅から日ノ出町駅までの500メートルほどの区間には、ちょんの間が250軒以上も並んでいました。 そのため黄金町は「 関東最大のちょんの間街」と呼ばれました。 しかし、本番行為(セックス)は本来風俗店で提供してはいけないサービスです。 黄金町のちょんの間は全て違法に営業されていたのです。 2000年に黄金町のちょんの間は一斉摘発された 黄金町のちょんの間街は第二次世界大戦(1939~1945年)のあとから営業が開始されました。 戦後、ガード下には飲食店が並ぶようになりました。 多くの人でにぎわう中で、ちょんの間も営業されるようになりました。 1950~60年代における黄金町のちょんの間には、日本人が多く働いていました。 しかし1970年代に入ると、中国・韓国・タイ・フィリピンなどから出稼ぎにきた女性がちょんの間で多く働くようになりました。 一方で日本人女性はちょんの間が違法営業であったことから、安心して働くことができるヘルスなどに移りました。 当時はちょんの間のネオンの光と、店頭に立って男性に声をかける外国人女性が、黄金町を独特な雰囲気にしていました。 このように多くの男性客に親しまれたちょんの間ですが、2000年に入ると 一斉摘発が行われるようになりました。 理由は「 黄金町駅周辺の高架下の耐震補強工事」です。 工事のきっかけになったのは1995年に起きた「阪神・淡路大震災」です。 関西で起きた大規模地震でしたが、これを機に関東でも「高架の補強をする必要がある」と考えられました。 そして、2000年の黄金町の工事に至ったのです。 高架下から立ち退きを命じられた黄金町のガード下にあるちょんの間は、全て移転することになりました。 ただ、周辺地域の人たちは、ちょんの間の移転によって風俗街が広がることに不安を感じ、警察に抗議をしました。 こうして警察はちょんの間の一斉摘発に動きました。 2004年、ちょんの間の一斉摘発が行われた 2004年、横浜市の警察はガード下の補強工事によって移転したちょんの間の一斉摘発に乗り出しました。 これは「売春・買春にさよなら」の意味を込めて「 バイバイ作戦」と呼ばれました。 警察は24時間態勢で黄金町駅、日ノ出町駅周辺を取り締まりました。 そして2006年には、この地域で営業していたちょんの間は全て廃業となりました。 現在、黄金町駅周辺は新たな町おこしの活動が始まっています。 黄金町は「アートの町」として生まれ変わろうとしており、 ちょんの間の跡地にはお洒落なカフェやギャラリーなどが並び始めています。 このように、黄金町はかつてたくさんの男性客でにぎわった風俗街でした。 現在では風俗店はなくなっていますが、当時のまま残っている建物があります。 黄金町のちょんの間は、昭和(1926~1989年)を代表する風俗街だったといえます。 かつての風俗街、黄金町のガード下(高架下)を歩いてみた それでは、現在の黄金町はどのようになっているのでしょうか。 かつての雰囲気はかなり残っているものの、現在の黄金町はアートの街として生まれ変わりつつあります。 ただ、アートとはいっても「アートをみるためだけに訪れる」という人は少ないです。 そのため、街に人の気配はほとんどありません。 オシャレなカフェはあるものの、ひっそりと静まり返っているのが現状です。 神奈川県・黄金町へ行くためには、京浜急行電鉄「黄金町駅」で降りる必要があります。 駅から降りて、ガード下(高架下)の細長い部分がかつて黄金町に存在したちょんの間です。 黄金町の駅を降り、すぐに大きな道路があります。 この道路を渡れば、かつてちょんの間として多くの男性が訪れていた風俗街の跡があります。 ちょんの間としての活用であるため、建物の構造は非常に特殊です。 基本は2階立て以上の建物であり、「1階にセックスするスペースのある部屋」があれば、「1階で客を呼び込み、そのまま2階へ上がってエッチをする」という部屋もあります。 ドアを開けると直接階段につながっているケースもあります。 多くの部屋はカーテンが閉められており、中を見ることができません。 黄金町にあるのは、細い路地と古い建物が基本です。 通る人はほとんどおらず、その代わりホームレスとすれ違うことは何度もありました。 たまにカーテンが開いている建物があるため、中を覗いてみると非常に間取りが狭いです。 男性を呼び込み、男女がセックスを行えるスペースだけあれば問題ないため、そうした特殊な間取りになっているのです。 ただ、中にはリフォームによってキレイに改装している建物があります。 部屋が異常に狭かったり、外にあるドアと階段が直接つながっていたりと構造が特殊ではありますが、何とかして有効活用しようとしています。 中には、アートギャラリーとして活用していたり、1階を受け付けにして2階で陶芸体験を経験できるようにしていたりする店舗もあります。 既に店として利用されていますが、この日は閉まっていました。 平日に訪れたため、土日や祝日であればもしかすれば開いていたのかもしれません。 他には2階に洗濯物が干してあり、人が住んでいると思われる建物もあります。 これだけ間取りが狭く、風呂場やトイレにも不自由する建物に住んでいる人がいることを考えると、どのような環境であっても人はたくましく生きていけるのだと思います。 建物のポスターには、レンタルルームとしての貸し出しを募集しているものがあります。 ただ、特殊な間取りのため普通の人では非常に借りにくい物件だといえます。 これから飲食店を開くための準備をしている建物もあります。 こうした店が儲かって売り上げをたくさん出せば、黄金町はより活性化するのでしょう。 アートの街として再生しようとしている黄金町ですが、実際に街を歩くといたるところにアート作品がおかれています。 かつて、ちょんの間があった高架下の壁に作品が飾られています。 閑散として人の気配のない街ですが、所どころこうしたアートを目にすることができます。 建物の壁にアート作品を描いたものもあります。 2階立ての独特の雰囲気をもつ建物にアートが描かれており、何とも不釣り合いです。 また、アートの拠点とするために事務所が設けられていることもあります。 風俗の街から、芸術の街として徐々に復活させようとしているのでしょう。 現在、ガード下(高架下)は写真のようにフェンスが建てられて閉鎖されています。 かつて、ここにちょんの間の建物がたくさんありました。 フェンスの中はどのようになっているのかというと、建物はなく空き地になっています。 なぜ、京浜急行電鉄がちょんの間の建物が立っていることを了承していたのかは分かりません。 ただ、その家賃収入だけでも当時は莫大な収益が鉄道会社に入ってきただろうと推測されます。 現在、高架下にはオシャレなカフェがいくつかあります。 こうした店であれば、若い女性が女子会をしても問題ないほどの内装です。 周囲にある建物は特殊であるものの、当時と違ってガード下には良い雰囲気のカフェが並んでいます。 一つ気になったこととしては、外からカフェの中が見えるようになっていたのですが、どの店も客の数が非常に少ないということがあります。 「女性2人がお茶をしており、そのほかに客がいない店」など、どのようにして経営しているのか不思議なほど客が入っていません。 周囲を歩く人はほとんどおらず、わざわざこのような閑散とした場所に足を運んでまでカフェをする人はいないため、客の入りの悪いことについては仕方がないのかもしれません。 ちなみに、黄金町には飲み屋もあります。 ちょんの間が多数あったころはにぎわっていて儲かっていただろうと思います。 このように、かつてちょんの間としてにぎわっていた黄金町は閑散として、特殊な建物だけが残るエリアとなってしまいました。 近くには警察署もあり、再び小金町にネオンが灯ることはないでしょう。 アートの街とはいっても、芸術だけで人を呼び込めるほどではありません。 男性による性の欲求に比べると、やはり弱いものがあります。 実際、現在も小金町はカーテンで閉められた建物がほとんどであり、人もあまりいません。 かつて、魔窟(まくつ)とまで呼ばれた黄金町のガード下は浄化作戦によって平穏にはなりました。 しかし、その代わりとして人の気配がない街として現在も静かにたたずんでいます。

次の

ぼくと三本足のちょんぴー

ちょん だ む どんす ゃ ん だ る

もくじ• 黄金町は「関東最大のちょんの間街」として大人気だった 黄金町にあった風俗店のほとんどは「ちょんの間」と呼ばれる店でした。 ちょんの間では4畳ほどの狭い部屋があり、男性客は部屋の中で女性とセックスを行うことができます。 時間は1度のプレイで20~30分と短時間で、料金は1万円が相場でした。 黄金町のちょんの間は2階建ての建物で営業されていました。 1階が受付のカウンターとなっており、受付をすませた男性客は女性と2階でプレイを行いました。 ちょんの間街として有名な風俗街に「大阪の飛田新地」があります。 黄金町のちょんの間の仕組みは飛田新地と似ていました。 黄金町のちょんの間のサービス内容は、男性にとって大きな魅力でした。 そのためガード下はたくさんの男性客でにぎわいました。 かつての黄金町駅から日ノ出町駅までの500メートルほどの区間には、ちょんの間が250軒以上も並んでいました。 そのため黄金町は「 関東最大のちょんの間街」と呼ばれました。 しかし、本番行為(セックス)は本来風俗店で提供してはいけないサービスです。 黄金町のちょんの間は全て違法に営業されていたのです。 2000年に黄金町のちょんの間は一斉摘発された 黄金町のちょんの間街は第二次世界大戦(1939~1945年)のあとから営業が開始されました。 戦後、ガード下には飲食店が並ぶようになりました。 多くの人でにぎわう中で、ちょんの間も営業されるようになりました。 1950~60年代における黄金町のちょんの間には、日本人が多く働いていました。 しかし1970年代に入ると、中国・韓国・タイ・フィリピンなどから出稼ぎにきた女性がちょんの間で多く働くようになりました。 一方で日本人女性はちょんの間が違法営業であったことから、安心して働くことができるヘルスなどに移りました。 当時はちょんの間のネオンの光と、店頭に立って男性に声をかける外国人女性が、黄金町を独特な雰囲気にしていました。 このように多くの男性客に親しまれたちょんの間ですが、2000年に入ると 一斉摘発が行われるようになりました。 理由は「 黄金町駅周辺の高架下の耐震補強工事」です。 工事のきっかけになったのは1995年に起きた「阪神・淡路大震災」です。 関西で起きた大規模地震でしたが、これを機に関東でも「高架の補強をする必要がある」と考えられました。 そして、2000年の黄金町の工事に至ったのです。 高架下から立ち退きを命じられた黄金町のガード下にあるちょんの間は、全て移転することになりました。 ただ、周辺地域の人たちは、ちょんの間の移転によって風俗街が広がることに不安を感じ、警察に抗議をしました。 こうして警察はちょんの間の一斉摘発に動きました。 2004年、ちょんの間の一斉摘発が行われた 2004年、横浜市の警察はガード下の補強工事によって移転したちょんの間の一斉摘発に乗り出しました。 これは「売春・買春にさよなら」の意味を込めて「 バイバイ作戦」と呼ばれました。 警察は24時間態勢で黄金町駅、日ノ出町駅周辺を取り締まりました。 そして2006年には、この地域で営業していたちょんの間は全て廃業となりました。 現在、黄金町駅周辺は新たな町おこしの活動が始まっています。 黄金町は「アートの町」として生まれ変わろうとしており、 ちょんの間の跡地にはお洒落なカフェやギャラリーなどが並び始めています。 このように、黄金町はかつてたくさんの男性客でにぎわった風俗街でした。 現在では風俗店はなくなっていますが、当時のまま残っている建物があります。 黄金町のちょんの間は、昭和(1926~1989年)を代表する風俗街だったといえます。 かつての風俗街、黄金町のガード下(高架下)を歩いてみた それでは、現在の黄金町はどのようになっているのでしょうか。 かつての雰囲気はかなり残っているものの、現在の黄金町はアートの街として生まれ変わりつつあります。 ただ、アートとはいっても「アートをみるためだけに訪れる」という人は少ないです。 そのため、街に人の気配はほとんどありません。 オシャレなカフェはあるものの、ひっそりと静まり返っているのが現状です。 神奈川県・黄金町へ行くためには、京浜急行電鉄「黄金町駅」で降りる必要があります。 駅から降りて、ガード下(高架下)の細長い部分がかつて黄金町に存在したちょんの間です。 黄金町の駅を降り、すぐに大きな道路があります。 この道路を渡れば、かつてちょんの間として多くの男性が訪れていた風俗街の跡があります。 ちょんの間としての活用であるため、建物の構造は非常に特殊です。 基本は2階立て以上の建物であり、「1階にセックスするスペースのある部屋」があれば、「1階で客を呼び込み、そのまま2階へ上がってエッチをする」という部屋もあります。 ドアを開けると直接階段につながっているケースもあります。 多くの部屋はカーテンが閉められており、中を見ることができません。 黄金町にあるのは、細い路地と古い建物が基本です。 通る人はほとんどおらず、その代わりホームレスとすれ違うことは何度もありました。 たまにカーテンが開いている建物があるため、中を覗いてみると非常に間取りが狭いです。 男性を呼び込み、男女がセックスを行えるスペースだけあれば問題ないため、そうした特殊な間取りになっているのです。 ただ、中にはリフォームによってキレイに改装している建物があります。 部屋が異常に狭かったり、外にあるドアと階段が直接つながっていたりと構造が特殊ではありますが、何とかして有効活用しようとしています。 中には、アートギャラリーとして活用していたり、1階を受け付けにして2階で陶芸体験を経験できるようにしていたりする店舗もあります。 既に店として利用されていますが、この日は閉まっていました。 平日に訪れたため、土日や祝日であればもしかすれば開いていたのかもしれません。 他には2階に洗濯物が干してあり、人が住んでいると思われる建物もあります。 これだけ間取りが狭く、風呂場やトイレにも不自由する建物に住んでいる人がいることを考えると、どのような環境であっても人はたくましく生きていけるのだと思います。 建物のポスターには、レンタルルームとしての貸し出しを募集しているものがあります。 ただ、特殊な間取りのため普通の人では非常に借りにくい物件だといえます。 これから飲食店を開くための準備をしている建物もあります。 こうした店が儲かって売り上げをたくさん出せば、黄金町はより活性化するのでしょう。 アートの街として再生しようとしている黄金町ですが、実際に街を歩くといたるところにアート作品がおかれています。 かつて、ちょんの間があった高架下の壁に作品が飾られています。 閑散として人の気配のない街ですが、所どころこうしたアートを目にすることができます。 建物の壁にアート作品を描いたものもあります。 2階立ての独特の雰囲気をもつ建物にアートが描かれており、何とも不釣り合いです。 また、アートの拠点とするために事務所が設けられていることもあります。 風俗の街から、芸術の街として徐々に復活させようとしているのでしょう。 現在、ガード下(高架下)は写真のようにフェンスが建てられて閉鎖されています。 かつて、ここにちょんの間の建物がたくさんありました。 フェンスの中はどのようになっているのかというと、建物はなく空き地になっています。 なぜ、京浜急行電鉄がちょんの間の建物が立っていることを了承していたのかは分かりません。 ただ、その家賃収入だけでも当時は莫大な収益が鉄道会社に入ってきただろうと推測されます。 現在、高架下にはオシャレなカフェがいくつかあります。 こうした店であれば、若い女性が女子会をしても問題ないほどの内装です。 周囲にある建物は特殊であるものの、当時と違ってガード下には良い雰囲気のカフェが並んでいます。 一つ気になったこととしては、外からカフェの中が見えるようになっていたのですが、どの店も客の数が非常に少ないということがあります。 「女性2人がお茶をしており、そのほかに客がいない店」など、どのようにして経営しているのか不思議なほど客が入っていません。 周囲を歩く人はほとんどおらず、わざわざこのような閑散とした場所に足を運んでまでカフェをする人はいないため、客の入りの悪いことについては仕方がないのかもしれません。 ちなみに、黄金町には飲み屋もあります。 ちょんの間が多数あったころはにぎわっていて儲かっていただろうと思います。 このように、かつてちょんの間としてにぎわっていた黄金町は閑散として、特殊な建物だけが残るエリアとなってしまいました。 近くには警察署もあり、再び小金町にネオンが灯ることはないでしょう。 アートの街とはいっても、芸術だけで人を呼び込めるほどではありません。 男性による性の欲求に比べると、やはり弱いものがあります。 実際、現在も小金町はカーテンで閉められた建物がほとんどであり、人もあまりいません。 かつて、魔窟(まくつ)とまで呼ばれた黄金町のガード下は浄化作戦によって平穏にはなりました。 しかし、その代わりとして人の気配がない街として現在も静かにたたずんでいます。

次の

Twoucan

ちょん だ む どんす ゃ ん だ る

春をひさぐ女性たちが大挙していた町 「オニーサン、アソビ? ヨッテッテヨ」 「サムイデショ。 ワタシモサムイ。 ナカデアッタマロー」 平戸桜木道路と大岡川に挟まれた一角、初黄(初音町と黄金町の総称)・日ノ出町地区には、少し前までそんな誘い文句を投げてくる女性が大勢居た。 彼女らが立つのは、赤い照明に彩られた間口2m足らずの店先。 それが通称「ちょんの間」である。 ちょんの間は、戦後の混乱期を契機に、全国の主だった歓楽街に出没し始めた風俗店だ。 その出自は、売春防止法施行前でいう青線(許可されていない売買春街)に属するものがほとんど。 ゆえに、外観は呑み屋や小料理屋、旅館を装っていて、営業の届出もそのように為されている。 新聞やニュースで「特殊飲食店」「小規模店舗」などと呼ばれているのは、こういった事情によるものだ。 誘蛾灯のような照明がちょんの間の目印。 その下で女性が 通行人を誘う(画像提供:『俺の旅』編集部/ミリオン出版) もちろん、今現在は完全な違法風俗店である。 しかし、全国的にいまだしぶとく現存している業種で、年齢を問わず愛好者も多い。 「ちょんの間で初体験を迎えた」という話も、地方ではよく耳にする。 なかでも横浜のちょんの間街は、大阪・飛田新地、沖縄・真栄原社交街と共に「三大ちょんの間街」に挙げられていたほどの名所であった。 横浜のちょんの間街(ピンク)は大岡川沿いに存在 生活道路とは思えぬ路地(青い線)も多かった 加速する多国籍化 夜が深まっても狂騒は続く 情事の時間はわずか20~30分、料金の相場は1万円。 店頭に立つ女性と直接交渉し、カウンター席の奥または階上の座敷へと案内される。 早朝に売れ残った女性だと値切りも可能だったことから、街の喧噪は日の出直後まで続いていた。 座敷は布団を敷くだけで精一杯の広さ 『消えた横浜娼婦たち』(檀原照和著/データハウス刊行)によれば、女性たちは、昔は日本人がほとんどだったという。 が、バブル景気の波に乗って、昭和50年代には台湾から、60年代にはタイやフィリピンからの出稼ぎ組が増え始めて以降、中国、韓国、さらには南米や東欧からの女性が街を席巻するようになる。 日本人女性が川向こうの曙町へ・・・ つまり、より安全で稼ぎの安定した合法風俗街に流出したことも、この変遷の要因だ。 かつてこの大岡川の西岸は、まさに不夜城の様相だった 前代未聞の完全包囲網で街から人影が消えた夜 伊勢佐木警察署歓楽街総合対策本部の担当官にうかがったところ、15年程前、最盛期の店舗数は250軒強。 1店舗には1~3人の女性が待機していて、8時間交代で24時間営業していたと言うから、単純計算でも1,000人以上の売春婦が居たと推測される。 ちなみに2000(平成12)年時点での初音町と黄金町の人口は約1,100人。 つまり、ちょんの間が存在した当時、街に居た2,000人超のうち約半数が外国人売春婦だったという計算になる。 通称「パフィー通り」には、文字通りちょんの間が軒を連ねていた.

次の