金田 賢一。 金田賢一には娘がいるの?韓国人の噂や今現在について。

金田正一の球速球速、成績は?息子は俳優・金田賢一、娘は元タレント!

金田 賢一

金田賢一さんは、1961年8月22日に兵庫県宝塚市で生まれ、今年57歳です。 父親は元プロ野球選手・監督の金田正一(まさいち)さん、母親は元宝塚歌劇団35期生の雅章子(みやびあきこ)さんです。 父親がプロ野球選手で昭和の時代としては長身の180cmだった血筋を受け継いだのか、賢一さんも身長184cmと長身です。 ちなみに、野球は中学の頃にやっていたそうですが、下手だったのでやめたそうです。 ずっと東京で育ち、成城学園高等学校から成城大学に進学後、中退しています。 1978年、高校2年生の時に父親の友人で俳優の長門裕之さんが製作に係わっていた映画『正午なり』で主演デビューを果たしています。 オフィスコットンに移籍、金田賢一はメディア露出減少 金田賢一さんは、2007年から音楽家の丸尾めぐみさんと「朗読三昧」という朗読ユニットを結成して、定期的に公演を行いCDも出しています。 朗読三昧とは、朗読と音楽の優しくも自立した関係のプロジェクトです。 賢一さんのナチュラルで内に秘めた熱い思いをクールに言葉の魅力で表現する朗読に、丸尾さんのピアノをはじめとする様々な楽器が生み出すオリジナル楽曲が合わさり、絶妙のコラボレーションを醸し出します。 演目は、向田邦子、島田荘司などの小説から、時にはサトウハチローや覚(かく)和歌子の詩まで幅広く取り上げて、聴衆は詩と音楽が織りなす心地よい世界に心ゆくまで酔いしれます。 2019年6月には、早稲田で公演予定 金田賢一さんは、ホームヘルパー2級の資格を持っています。 お身内に介護を必要とする方がいるわけではありませんが、認知症や介護などが社会問題になった頃に関心を持たれたのがきっかけのようです。 ちょうど娘さんの育児の手が離れたのを契機に、まず奥さんと友人がヘルパー資格を取る計画を立てて、通信教育で一生懸命に勉強した後、見事2級を取得されたとか。 それに、賢一さんも大いに刺激を受けたたそうです。 そして、奥さんと同じ通信教育で勉強し、奥さんのアドバイスを受けながら、無事ホームヘルパー2級の資格を取ることができました。 その資格を活かしてボランティアで実際の介護現場で働くこともあるようです。 妻は1級の資格持ち、施設で働いた経験も 最近は、テレビや映画でもあまりお目にかかることが少ない金田賢一さんですが、病気ではないかという噂もあるようです。 しかも重病で介護が必要な状態なっているとか・・・。 本当なのでしょうか? いろいろ調べてみましたが、そのような事実は確認できませんでした。 先に述べたように、丸尾さんと組んだ「朗読三昧」というユニットで定期的に公演を続けていて、2019年も公演が予定されています。 また、近年ではテレビドラマの「ハンチョウ~警視庁安積班~」第9話 2012年 や、「浅見光彦シリーズ49」(2014年)などの単発ものに出演されています。 どうやら、病気という噂はデマのようです。 病気説はデマ?2018年には公開舞台稽古も行っていた 金田賢一さんは、近年はメディアでの露出が減ったために、「重病で入院しているのではないか?」と病気説が噂されてきました。 しかし、あくまでテレビの出演が減っているだけで、 現在も元気に活動しています。 実際、2018年には、大阪で朗読劇の公開舞台稽古を行っています。 元「モーニング娘。 」でタレントの加護亜依さんが主演の朗読劇「私の知らない、私の事情」の公開舞台稽古に登場しました。 劇で演出と語りを務める賢一さんは、主演の加護さんについて「とてもお上手だと思いますよ」と褒めたたえていました。 稽古終了後は、取材に集まったの報道陣を前に元気な姿を見せていました。 金田賢一のブログやSNSは?facebookがある? 金田賢一さんの父親は、元プロ野球巨人軍の選手だった金田正一さんです。 もっとも、最初に入団したのは国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)で、16年目にかねてから希望していた巨人軍に移籍しました。 「カネやん」の愛称で親しまれ、投手としてプロ生活20年間で通算勝利数400勝という日本プロ野球史上不滅の大記録を達成しました。 昭和を代表する大投手として、野球ファンなら誰もが知っているレジェンドです。 1970年シーズンで現役引退後は、解説者を経てロッテの監督に就任し、1974年に日本一に輝いています。 84歳になられた現在でも、プロ野球の解説やコメンテーターとしてすこぶる元気に活躍されています。 母親は元宝塚歌劇団の雅章子 金田正一さんの弟(賢一さんの叔父)3人も元プロ野球選手でした。 5歳下の金田高義さんは1958年に国鉄スワローズに投手として入団しましたが、一軍での実績はなく1960年に引退しています。 8歳下の金田星雄さんも1960年に国鉄に投手として入団しましたが、1年で引退しています。 13歳下の金田留広さんは1966年に当時の東映フライヤーズ(現日本ハムファイターズ)に投手として入団しています。 留広さんは一軍で長らく活躍し、ロッテ、広島に移籍して1982年に引退しました。 残念なことに、2018年に71歳で亡くなられました。 賢一さんは、こうした野球一家のサラブレッドの血筋を引いているのです。 父親カネやんを巨人の監督にプッシュ「親父どう?」 金田正一さんは、1959年に帰化、日本国籍を取得しました。 当時、在日韓国人スポーツ選手にも、プロレスの力道山のように日本に帰化した人もいれば、プロ野球の張本勲選手のように韓国籍のままの人もいました。 正一さんは、1964年に国鉄球団からかねてから希望していた巨人に移籍します。 帰化したのは、名門巨人軍から移籍の条件として、国籍を変えるようにとの要請があったのではないかという憶測が噂されました。 その真相は定かではありませんが、現役を退いた後に監督やコーチに就任するには日本国籍の方が有利だと考えていたのは確かなようです。 後に「わしは巨人に入るため国籍まで変えたんだ」と話したともいわれています。 在日韓国人の話はタブー?.

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金田賢一の嫁や子供は?今も俳優で朗読も手がける多趣味で父・金田正一を見送る!

金田 賢一

来歴・人物 [ ] にある母(・(みやび・のりこ、金田敏子。 、の同期)の実家で生まれ、で育つ。 中学(成城学園)時代はをしていたが、本人は「下手だった」という。 、父・正一の友人だったが製作に係わっていた映画『』でデビューし 、その後1984年にドラマ『』にて演じる主人公の恋敵役として出演し注目される。 にはドラマ『』にデューク刑事役で出演。 からはの選挙の出馬による一時降板に伴い、翌まで『』の司会を務めた。 また、きよしは当選後約1年半復帰し共演した。 さらに、5月から3月まで、のお昼の情報番組『』の月・火曜日のMCを務めた。 父の正一とは、TBSのテレビ番組『』や、神奈川県警のポスター『金田さんは、カネ出さん! 』で親子共演を果たしている。 には、の花組で男役を務めていたと結婚。 翌1986年に第一子(長女)を授かった。 結婚式では、当時『』()をよく視聴していた正一の希望で、司会陣の1人としてフジテレビへ出向していた()が司会を任されていた。 近年は、単発ドラマの脇で犯人役など深みのある演技を披露している一方、夫人との温泉旅行番組にも出演している。 2級の資格を持っている。 また、少年時代から現在までの活動をしており、「自分で出来ることは何でも自らでやる」「歩く歩く歩く! 」を信条としている。 テレビ局に出向く際も車ではなく、自転車と通勤電車を今でも使う。 また、料理も得意で教室を開くほどである。 からは、音楽家のとのユニット『朗読三昧』の活動を開始し、定期的に公演を行っている。 出演 [ ] 映画 [ ]• (1978年、) - 主演・忠夫 役• (1980年、) - 主演・澄川隆 役• (1981年、東映) - 主演・茂木修平 役• (1981年、) - 本郷真二 役• (1984年、) - 西野先生 役• (1987年、) - 平垣信治 役• (1988年、キノシタ映画) - 岡本克之 役• (1990年、東映) - 役• (1990年、東宝) - 中原哲也 役• (1991年、東映) - 役 テレビドラマ [ ] NHK [ ]• 「」(1980年) - 弥太郎 役• 「」(2006年) - 役• 「」(2007年) - 役• 「魂の夏」(1980年11月15日) - 主演• (1981年)• (1981年) - 岡田彦馬 役• 第23話「旅立ち」 (1982年)• 「道頓堀川」(1982年5月)• 「」(1983年) - 主演• (1983年) - 鶴橋多喜人 役• ドラマスペシャル「冬構え」(1985年3月30日) - ボーイフレンド 役 日本テレビ [ ]• 「愛と死の絶唱」(1979年) - 圭介 役• 「あらたなる旅立ち 妻よ子よありがとう」(1980年10月2日)• 「わが子よ、永遠に!! 」(1980年11月13日) - 主演• 「まぼろしの初夜」(1982年8月12日)• 「受験戦争1983」(1983年3月24日) - 良介 役• 「女優時代」(1988年10月13日)• 「舞いこんだ死亡診断書」(1982年8月31日)• 「極刑」(1982年11月23日)• 「ズームイン!! 殺人事件」(1988年11月15日) - 坂口孝次 役• 「」(1991年4月16日) - 中森慎一 役• 「結婚適齢期」(1991年6月25日)• 「昨日を探す女 ふるさとに行きて死なむと思ふ」(1995年11月28日)• (1984年) - 花形進 役• 第660回〜第715回(1985年 - 1986年) - 島津公一刑事(デューク) 役• 第6話「偽証・アリバイが問いかける真実の友情」(1991年5月18日)• (1992年3月24日) TBS [ ]• 第1200回「」(1979年12月9日) - 役• 第1272回「ちょっといい夫婦」(1981年5月10日)• 第1316回「幸せのいれもの」(1982年3月14日)• 第1442回「夏の出逢い」(1984年8月26日)• 第1594回「夏の花嫁」(1987年7月26日)• 第1730回「再婚しますか…」(1990年4月8日)• (1980年) - 恒松双六 役• (1980年) - 春野秀 役• 「のぶ子の災難」(1982年)• 「」 - 八重樫俊彦 役• 「女子大生危険な帰り道」(1982年7月3日)• 「刑事ガモさんII」(1982年12月11日)• 「黄金流砂」(1983年8月20日) - 主演・法願総一郎 役• (1984年) - 中野孝 役• (1984年) - 主演・坪田精二 役• セゾンスペシャル「サーカス村通り」(1987年6月12日)• 「コピー室より愛をこめて」(1989年4月)• 第20話「姫が暴いた悪企み -高山-」(1990年) - 内藤平八郎 役• 第12話「兄の敵はお殿様 -山中-」(1994年) - 役• 「」(1991年1月1日) - 役• 「」(1992年1月1日)• 「札幌駅殺人事件」(1992年4月13日) - 田宮洋一 役• 「京都映画女優殺人事件」(1994年6月20日)• 第22話(1994年9月15日) - 太郎 役• 「サスペンス 京舞妓殺人事件」(2003年8月4日) - 北田 役• 「検察官 沢木穂乃歌2 悪の断層」(2005年8月1日)• 第9話「母親の命か? 子どもの命か? 」 (2012年6月4日) - 神坂孝介 役 フジテレビ [ ]• (1979年) - 北島乗彦 役• 「1980・帰らざる夏」(1980年8月23日) - 主演• (1983年 - 1984年、) - 役• ドラマスペシャル「」(1983年4月9日、関西テレビ)• 「愛の終着駅」(1984年10月19日)• 「足の裏」(1984年11月16日)• 「」(1988年7月24日、関西テレビ) - 信一 役• 「 清が見た画家の秘密 輪島編 」(1996年6月2日、関西テレビ)• (1990年、)• 「」(1993年6月4日)• (1997年6月6日) - 火田精一 役• 「赤い霊柩車8 燃える棺」(1997年12月26日) - 智夫 役• 「」(2012年2月3日) - 喫茶店マスター 役• 「」(2014年1月17日) - 河村忠治 役 テレビ朝日 [ ]• 第42話「殺しを見たのは失明の美女! 」(1983年2月3日) - 風見兵馬 役• 「津軽海峡 おんな三人春景色」(1988年4月12日) - 沢木稔 役• 「冬の来る前に」(1990年12月)• 大型時代劇スペシャル「大逆襲! 四匹の用心棒3」(1991年4月4日) - 一色丹波守景信 役• 時代劇スペシャル「素浪人無頼旅II」(1992年3月30日) - 小笠原相模守 役• 「みちのく湯煙り殺人峡谷」(1993年7月10日) テレビ東京 [ ]• 「」(1988年1月2日)• 1(2001年) - 滝川刑事• (2013年3月6日) - 夏木治 役 テレビアニメ [ ]• (1982年10月6日、フジテレビ) その他のテレビ番組 [ ]• () - 月・火曜司会• (テレビ東京) - 夫婦で出演する機会が多い• (TBS)• (日本テレビ)• (日本テレビ)• (日本テレビ) ラジオ [ ]• (・のアシスタント) イベント [ ]• 横濱夢語り• ににんがはち〜横浜最後のお座敷芸者 京子姐さん物語〜• 天使はブルースを歌う(作)• ドロップ・アウト しなやかな女豹(1992年、)• Another XX 狂愛〈アファナティック・ラブ〉(1998年、) CM [ ]• サンスター(サンスター トニックシャンプー、ソルトサンスター)• () 受賞 [ ]• 新人賞受賞(1979年度)• 新人賞受賞(1981年)• 新人賞受賞 脚注 [ ] [].

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金田賢一の嫁や子供は?今も俳優で朗読も手がける多趣味で父・金田正一を見送る!

金田 賢一

金田正一の球速球速、成績は?名球会退会の真相とは? 金田正一の速球は球速160㎞出ていた?400勝の輝かしい成績は徹底した猛練習と食へのこだわり プロ野球前人未到の400勝を挙げた名投手・金田正一(かねだまさいち)は、国鉄スワローズ(現・東京ヤクルト)で大エースとして君臨。 その左腕から投じる快速球で三振を次々と奪い、一時代を築き上げました。 デビュー間もない長嶋茂雄を4打席連続三振に打ち取るなど、破天荒な伝説に満ちた野球人生は、今も語り草となっています。 ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の監督としても、チームを日本一に導いた金田正一。 名作漫画「鉄人28号」の主人公・金田正太郎の名は彼が由来とされるほどですから、時代の象徴と言うべき存在だったと言えます。 「カネやん」の愛称で親しまれた金田正一の通算成績は、944試合に登板して、400勝298敗、防御率2. 獲得タイトルは、最多勝利と最優秀防御率を各3回、最多奪三振10回に加え、沢村賞とベストナイン各3回です。 さらに、ノーヒットノーランを2回達成した他、勝利数と敗戦数、奪三振、投球回数、完投数、与四球はいずれも日本記録となっています。 まさに空前絶後の大投手だった金田正一の14シーズン連続20勝をクリアしたという記録もまさにアンビリーバブル!現代野球では、20勝するだけでも並大抵ではありませんが、その大台を14年連続でクリアしてのけました。 すさまじい球威を誇る速球は歴代最高の呼び声も高く、対戦したバッターが「間違いなく球速150㎞後半か160㎞は出ていた」と口をそろえるほどの球速。 その球威ゆえ、高校時代は彼の速球を捕れるキャッチャーがいなかったとか。 プロで鳴らした猛者たちも、その速球の威力には手を焼くことになります。 1950年に高校を中退した金田正一は、プロ入りするやいきなり8勝。 2年目からは14年連続20勝以上をクリアするなど、名実ともに球界を代表する大エースに上り詰めます。 当時は弱小チームだった国鉄の中で、圧倒的な実力と傍若無人な態度で鳴らし、監督すら彼の存在には頭が上がらず、「球界の天皇」とも呼ばれたほどでした。 1965年に巨人入りし、400勝を達成した金田正一は、1969年限りで20年間の現役から引退しています。 彼のキャリアの土台となったのは、強靭な体力に加えて、徹底した猛練習と、ストイックなコンディション調整、そして旺盛な食欲でした。 中でも走り込みは、他の選手たちが音を上げるほどのハードさを極め、巨人入りした際には、選手たちが彼の超人的な練習量に舌を巻いたと伝えられています。 自身の商売道具である左腕には細心の注意を払っていた金田正一は、絶対に左腕では子供を抱かなかったそうです。 また、食べることにもこだわり抜き、キャンプには自ら厳選した食材を持参。 「プロはいいものを食べなきゃダメだ」と言い、当時のサラリーマンの月給レベルの金額を全て市場での買い物に使い、わずか3日で食べ尽くしてしまったという伝説も残っています。 何もかも規格外の伝説を残した男、金田正一。 その圧倒的な成績を凌駕する選手はもはや現れないでしょう。 金田正一が名球会を退会した真相とは?不信感を抱いた会員のクーデターだった? 金田正一は、名球会の立ち上げに尽力したことでも知られています。 プロ野球選手で長年プレーを続け、一定の成績を達成すれば与えられる栄誉が名球会入りです。 名球会の正式名称は「一般社団法人日本プロ野球名球会」で、国内外での少年野球指導など野球の普及促進や社会貢献を行っています。 入会資格は、昭和以降に生まれた選手で、投手ならば200勝、野手では2000本安打を記録すること。 現在は、日米両球界でプレーした選手や250セーブを達成した投手も入会対象となるなど、資格は緩和されています。 1978年2月に発足以来、彼が牛耳ってきたといってもよいほど、金田正一が影響力を誇示してきました。 しかし、現在は、名球会会員名簿の中から金田正一の名前が消えています。 それは、2009年に、金田正一が名球会から退会したからで、そこには、名球会内部のクーデターがあったとか。 金田正一のワンマンぶりは有名で、名球会に長年君臨していたため、誰も反論できない雰囲気だったことに加え、会計も不透明という実態に反旗が翻されたと言われています。 しかし、彼自身は「退会などしていない」と、頑として退会そのものを認めていません。 金田正一の言い分を借りれば、「名球会は横取りされたんだ。 本当の名球会はワシがきちんと守っている」ということになります。 しかし、客観的に見れば、今までのやり方が強引すぎたために見放されたように見えます。 金田正一の息子は俳優・金田賢一、娘は元タレント!弟たちもプロ野球選手だった 金田正一の息子は俳優・金田賢一、娘は元タレント! 並ぶ者のいない大選手だった金田正一の息子が俳優の金田賢一ということはご存じでしょうか?金田賢一は、天下の400勝投手が父親で、母親はあの宝塚歌劇団に所属していたというサラブレッド。 同年代の中井貴一や佐藤浩市、石原良純らとともに2世タレントとしてスポットライトを浴びたことでも知られています。 1978年に映画デビュー後、ドラマ出演などで経験を積み重ねた金田賢一は、伝説の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のレギュラーに抜擢されるなど活躍しました。 甘いマスクと長身で売れっ子でしたが、近年はめっきりと露出が減り、一説には、「重病で入院しているのではないか?」とも言われています。 また、金田正一には、息子だけでなく、娘が2人いるそうです。 そのうちの1人は、洗顔フォームのCMに出演するなど、元はタレントとしても活動していました。 その後は情報がないところを見ると、現在は一般人として過ごしているのかもしれません。 金田正一の弟は全員プロ野球選手だった!末弟は最多勝2回で通算128勝! 金田正一の3人の弟たちも全員プロ野球選手でした。 ともに元西武で活躍した松沼博久・雅之兄弟の例でも分かるように、兄弟2人がそろってプロ野球入りすることはさほど珍しいことではありません。 しかし、3人いる弟がいずれもプロ野球入りしたのは金田正一のケースのみだと思われます。 金田兄弟の場合は、長兄の金田正一がとてつもない大選手なので、なにかと比較されて肩身の狭い日々だったかもしれません。 3人の弟は、金田高義(たかよし)、金田星雄(ほしお)、金田留広(とめひろ)で、いずれもポジションはピッチャーです。 このうち、金田高義と金田星雄は、兄と同じ国鉄に入団しています。 しかし、1軍で成績を残すことはかなわないまま現役引退しました。 金田星雄は、プロ野球選手から歌手に転向し、レコードも出したほか、映画出演も果たしているとのことでなかなか異色の人生です。 残る末弟の金田留広は、通算13年の現役生活で、434試合128勝109敗2セーブ、防御率3. 25と、プロ野球選手として上々の成績を挙げています。 愛知学院大中退後、社会人野球日通浦和を経て、東映フライヤーズ(現・北海道日本ハム)に入団。 1970年に24勝、1972年には20勝を挙げ、最多勝のタイトルを2回獲得しました。 その後、ロッテ監督となった兄の引きでロッテへトレード。 1974年には、先発陣の一角として16勝を挙げ、2度目の最多勝タイトルとともにチーム日本一にも貢献しています。 現役晩年は広島でプレーし、敗戦処理や中継ぎといった地味なポジションに徹しつつ、ムードメーカーの役割も果たしました。 現在は、健康食品の会社を経営しながら、日本身体障害者野球連盟をサポートしていると伝えられています。 金田正一がZOZOマリンを訪問!ロッテへ「ピッチャーは使ってやって初めて成長」とメッセージ! ロッテ監督を歴任した金田正一は、1973年に就任した当時、「あの400勝投手が監督になった」という話題性でマスコミからの注目度が劇的に高まりました。 しかし、その当時のロッテは、今と違って認知度もイマイチ。 ロッテだけではなく、パ・リーグ全体がマスコミからはほとんど見向きもされず、観客動員力でもセ・リーグに大きな差をつけられていました。 そんな中、タレントとしても知名度が抜群だった金田正一の監督就任は、パ・リーグ人気上昇の大きな起爆剤になったと言えます。 「金田フィーバー」が大きく後押しした結果、今まで閑散としていた球場も、入場する観客の列で熱気ムンムン。 当時は、前・後期の2シーズン制を採用していたパ・リーグにあって、ロッテがあわや前期優勝かという快進撃を見せると、急きょテレビ中継されるなど、観客動員に大きく貢献しました。 翌1974年には、中日を破ったロッテが悲願の日本一に輝きます。 そんな監督時代を過ごしただけに、今でもロッテの勝敗は気になって仕方ない様子の金田正一は、「1年に1回は来ないと」と巨人との交流戦でZOZOマリンスタジアムを訪問。 試合前には井口資仁監督らとベンチで歓談するなど、和やかなひとときを過ごしました。 今シーズン活躍していた荻野貴司も、「あんた選手か?」というカネやんの先制パンチにたじたじ。 今後のロッテについては「何といってもピッチャー。 使ってやって初めて成長する」と、カネやん節は今なお健在で、元大投手らしいメッセージを送りました。 その人間性には賛否両論ありますが、400勝という実績は真似のできない大記録です。 真剣に野球に取り組む姿勢は、後進にもどんどん見習ってほしいものです。

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