月寒 ひまわり データ。 データベース|千葉大学環境リモートセンシング研究センター

月寒

月寒 ひまわり データ

衛星観測データ 気象衛星センターでは、「ひまわり」の観測データのVISSRデータ ひまわり初号から5号、GOES-9 や、HRITデータ ひまわり6、7号 、ひまわり標準データ(ひまわり8号、9号)を保存しています。 このデータの購入を希望される方は、までお問い合わせください。 いくつかの研究機関の協力を得て、研究者向けにデータ公開を公開しています。 研究者向けのデータ公開については、「」をご覧ください。 静止気象衛星資料(ひまわり) 静止気象衛星資料(ひまわり) 資料名 データ保存期間 データ形式 備 考 VISSRデータ 赤外 1981年3月1日 - 1995年6月13日 バイナリ VISSRデータ 赤外1 1995年6月3日 - 2005年6月27日 バイナリ VISSRデータ 赤外2, 赤外3 1995年6月13日 - 2005年6月27日 バイナリ VISSRデータ 可視 1987年2月28日 - 2005年6月27日 バイナリ HRITデータ 赤外1, 赤外2, 赤外3, 赤外4, 可視 2005年6月28日 - 2015年7月6日 バイナリ HSDデータ Band1-Band16 2015年7月7日 - バイナリ 各静止気象衛星の観測期間 ひまわり(GMS-1 【VISSR】 1977年9月8日 - 1981年12月20日 1984年1月21日 - 1984年6月29日 ひまわり2号(GMS-2 【VISSR】 1981年12月21日 - 1984年1月20日 1984年6月29日 - 1984年9月26日 ひまわり3号(GMS-3 【VISSR】 1984年9月27日 - 1989年12月3日 ひまわり4号(GMS-4 【VISSR】 1989年12月4日 - 1995年6月12日 ひまわり5号(GMS-5 【VISSR】 1995年6月13日 - 2003年5月21日 GOES9号 GOES-9 【VISSR】 2003年5月22日 - 2005年6月27日 ひまわり6号(MTSAT-1R 【HRIT】 2005年6月28日 - 2010年6月30日 ひまわり7号(MTSAT-2 【HRIT】 2010年7月1日 - 2015年7月6日 ひまわり8号(Himawari-8 【HSD】 2015年7月7日 - 注1 画像の波長帯• 赤外: 10. 5-12. 赤外1: 10. 5-11. 赤外2: 11. 5-12. 赤外3(水蒸気): 6. 5-7. 赤外4: 3. 5-4. Band1: 0. 4310-0. 4790um• Band2: 0. 5025-0. 5175um• Band3: 0. 6250-0. 6600um• Band4: 0. 8495-0. 8705um• Band5: 1. 601-1. 619um• Band6: 2. 253-2. 268um• Band7: 3. 740-3. 960um• Band8: 6. 061-6. 425um• Band9: 6. 890-7. 010um• Band10: 7. 258-7. 433um• Band11: 8. 440-8. 760um• Band12: 9. 543-9. 717um• Band13: 10. 25-10. 61um• Band14: 11. 08-11. 32um• Band15: 12. 15-12. 45um• Band16: 13. 21-13. 39um.

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概要 [ ] 地区内を走るによりと結ばれているほか、地区の南東部にが建設されるなど、札幌市内の重要なのひとつとして発展を続けている。 (4年)にからの入植者によって開基された。 地名の由来には諸説あるが、の「チ・キサ・ㇷ゚」(表記:chi-kisa-p、「我々・こする・もの」の意。 この場合は、アイヌが摩擦式発火に用いていたの木を指す)または「トゥ・ケㇱ・サㇷ゚」(tu-kes-sap、「丘・の外れの・下り坂」の意)が転訛して「つきさっぷ」となった説が有力である。 地名の読みは(昭和18年)に現在の「つきさむ」に変更された。 かつてはが駐屯する基地の街としての顔も持っていた。 陸軍によって月寒に敷設されたは北海道で初の水道であり、その取水塔は現在のに残されている。 歴史 [ ] 明治から戦前期 [ ] 入植までの歴史については、隣接するも参照。 月寒(つきさっぷ)は、(明治4年)に人44戸144名によって開拓の鍬が現在の月寒中央通から入れられた。 (明治4年)に現在のの一部まで含む行政村として 月寒村が置かれると、月寒はその中心集落となった。 (明治35年)に豊平村及び平岸村と合併し豊平村の一部になった。 豊平村((明治41年)から)の役場は西寄りのにあったが、この地区が札幌区に編入された(明治43年)に、現在の月寒西1条6丁目(現:月寒児童会館)に移転した。 以後の月寒は豊平町の中心地として、(現:)に沿う形で発展した。 また、平岸地区から月寒の役場まで移動ができるように建設されたは、兵士がを食べながら工事にあたったことから、現在でも「」と呼ばれている。 (明治28年)には、月寒村の増加に伴う維持のため、月寒を現在の月寒中央通9丁目に設置。 (明治33年)に月寒村46番地(現在の月寒中央通11丁目)に移転。 (2年)に現在の南4条東1丁目と月寒の間に客馬車の運行がされると、(大正15年)にと月寒の間にが営業を始めた。 同年にが現在のにあたる路線を開通させ、その線上に(つきさっぷえき)が開設された。 月寒駅は(昭和48年)に月寒駅を含む千歳線の一部が新線に付け替えられた際に旅客取扱を廃止して貨物駅となり、その後駅そのものも(昭和51年)に廃止された。 ()中の(昭和19年)には議会は難読を嫌った陸軍の要請を受けて「つきさっぷ」を「つきさむ」と改めた。 しかし千歳線月寒駅については、北海道鉄道をしたとその後身であるが要請に従わず「つきさっぷえき」のままとした。 今日「つきさっぷ」という呼称は、前の「つきさっぷ中央公園」、歌の「つきさっぷの少年」、「」等ごく僅かしか残っていない。 旧北部軍司令官官邸(現つきさっぷ郷土資料館)月寒東2条2丁目 (昭和15年)に、北海道・を統括する旧陸軍のが現在のの位置(月寒東2条2丁目)に置かれ、(昭和16年)に右写真の北部軍司令官官邸が建てられた。 、この建物はに接収された後、(昭和25年)から(昭和58年)まで学生寮として使われ、(昭和60年)よりとしてに開放されている。 戦後から現在 [ ] 後の占領期、千歳から札幌までの室蘭街道のがGHQによって優先的に行われた。 この区間は「」と呼ばれたが、この名称については「の弾丸を運搬する為の道路」という説から、「弾丸のように早く走ることができる道路」「弾丸のような突貫工事で舗装が行われた」まで諸説がある。 (昭和31年)に町役場は現在の月寒中央通7丁目(現:月寒公民館)に移転したが、(昭和36年)に豊平町が札幌市と合併したときに、町役場の庁舎はそのまま札幌市豊平支所になり、豊平区成立後の(昭和49年)に新しい豊平区役所庁舎ができるまで使われた。 (6年)にはがから延伸し、10月に・が開設された。 東月寒の歴史 [ ] 月寒東のうちの東側は「 東月寒」と呼ばれており、現在は住居表示上存在しないものの、学校や連絡所等の公共施設名や町内会名に用いられている。 (明治10年)にに破れ、道内を逃走していた和田儀平(逃走中に姓名を変更)が、現在の付近に入植したのが、東月寒最初の入植と言われる。 東月寒は、開拓当初、側を「二里塚」、(とうほくどおり)側を東北通り(ひがし・きたどおり)と分けていたが、(昭和19年)に東月寒地区の大半の土地を所有するに倣い「八紘」(はっこう)と改称し統合した。 ちなみに、東北通りと呼ばれていた時代、月寒川の西側は西北通り(にし・きたどおり)と呼んでいた。 戦後、八紘から東月寒と改称したが、(昭和25年)に111世帯、人口545人だったのが、工場の建設、宅地化などの影響もあり昭和50年代には5,000世帯、人口15,000人を超え、また、隣接する月寒東と紛らわしいとの理由もあり、(昭和48年)12月1日に現在の月寒東5条11丁目、5条12丁目、(昭和53年)10月23日に現在の月寒東1条11丁目、2条11丁目、3条10丁目、4条10丁目、5条12丁目、11月13日に現在の月寒中央通11丁目と改称し、(昭和55年)1月28日には、残る全域を月寒東へと改称した。 にを分区した際、5条19丁目の一部(清田通より東側)をに編入、清田区北野7条1丁目(ごく一部は6条1丁目)となった。 隣接地区 [ ]• 東:(を境界とする)、(、を境界とする)• 西:、(を境界とする)• 南:(を境界とする)、福住、(を境界とする)• 北:(を境界とする) 住所 [ ] 町丁 月寒中央通1丁目~11丁目 062-0020 月寒東1条1丁目~20丁目 062-0051 月寒東2条1丁目~20丁目 062-0052 月寒東3条3丁目~11丁目、15丁目~19丁目 062-0053 月寒東4条6丁目~11丁目、15丁目~19丁目 062-0054 月寒東5条5丁目~19丁目 062-0055 月寒西1条2丁目~11丁目 062-0021 月寒西2条4丁目~10丁目 062-0022 月寒西3条4丁目~10丁目 062-0023 月寒西4条5丁目~10丁目 062-0024 月寒西5条6丁目~8丁目、10丁目 062-0025 主要道路 [ ] 北海道立産業共進会場• 札幌南(月寒東1条5丁目)• 札幌月寒病院(月寒東1条13丁目)• 北樹会病院(月寒西5条8丁目)• 札幌朗愛会病院(月寒西1条10丁目)• 月寒まちづくりセンター• 東月寒まちづくりセンター• 札幌東• 月寒公民館• 札幌市豊平区介護予防センター東月寒・福住• 史跡 [ ]• 旧北部軍司令官官邸(現:つきさっぷ郷土資料館)• 商業施設 [ ]• 札幌月寒店• 月寒店• 月寒中央店• テックランド札幌月寒店• 本社・月寒工場()• 月寒西店• 月寒東店• 月寒店、月寒東店• 月寒西店、月寒東店• 月寒店• アインズ&トルペ月寒中央店• 月寒西店• ブランチ札幌月寒(仮称)2019年春オープン予定 教育 [ ] 札幌市立月寒小学校旧門 専門学校• (月寒東2条14丁目)• 専門学校日本福祉学院月寒キャンパス(月寒西2条5丁目)• 生涯学習センター(月寒西2条5丁目)• 北海道中央調理技術専門学校(月寒西3条6丁目) 高等学校• 中学校• 市立(月寒地区が学区に含まれる学校も記載)• (月寒東2条2丁目)• (月寒東3条11丁目)• (月寒東3条18丁目)• (福住1条3丁目) 小学校• 市立(月寒地区が学区に含まれる学校も記載)• (月寒東1条11丁目)• (月寒東1条16丁目)• (月寒東3条10丁目)• (月寒東4条18丁目)• (月寒西2条5丁目)• (月寒西4条8丁目)• (美園1条4丁目) 幼稚園• (月寒東3条7丁目)• 黎明幼稚園(月寒東1条2丁目)• つきさむ幼稚園(月寒東2条11丁目)• 札幌若葉幼稚園(月寒東2条18丁目)• 幌南学園幼稚園(月寒西1条3丁目)• 美晴幼稚園(月寒西2条7丁目)• 札幌くりのみ幼稚園(月寒西5条8丁目) その他• 札幌市あやめ野小ミニ児童会館(月寒東1条11丁目、あやめ野小学校内)• 札幌市羊丘小ミニ児童会館(月寒東1条16丁目、羊丘小学校内)• 札幌市あやめ野児童会館(月寒東4条10丁目)• 札幌市東月寒児童会館(月寒東3条16丁目)• 札幌市月寒児童会館(月寒西1条6丁目)• 札幌市南月寒小ミニ児童会館(月寒西4条8丁目、南月寒小学校内) 交通機関 [ ]• 、、 ご当地名物 [ ] ご当地名物は上記のであるが、当地のは一般的な入りのではなく、どちらかというと中華の月餅に近い。 も多めに使われ、その上水分控えめで、かなりしっかりした密度の高い仕上がりになっており、一般的なあんパンより保存が利く。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 札幌市 2017年3月15日. 札幌市. 2017年3月20日閲覧。 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 2014年4月3日. 総務省. 2016年5月4日閲覧。 札幌市 2017年3月15日. 札幌市. 2017年3月20日閲覧。 札幌市 2017年3月15日. 札幌市. 2017年3月20日閲覧。 北海道 環境生活部 総務課 アイヌ政策推進室 2007年2月. 2015年9月2日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]•

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【01/14】ひまわり月寒(1000円46枚スロット)差枚データ

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ひまわり標準データ ひまわり標準データは気象庁が提供する衛星観測データのうち最も源泉に近く、情報量の多いデータです。 気象庁で作成される他の衛星プロダクトもすべてこのデータを元に作成されます。 このひまわり標準データのフォーマットはひまわり8・9号に向けて新たに作成したものですが、詳しくは下記リンク先の「ひまわり標準データ 利用の手引き」を参照ください。 ひまわり標準データは、気象業務支援センター及びひまわりクラウドを通じて配信を行います。 Ver1. 3 では、可視・近赤外バンドのセンサ特性の経年変化を補正するためのヘッダ情報を追加しました。 なお、今回の変更は「 5 キャリブレーション情報ブロック」の予備領域への情報追加のみであり、それ以外のフォーマット内容に変更はありませんので、現在ご使用の処理プログラムを変更されなくとも、従来どおりの処理が可能です。 また、2017年7月25日13時 JST のひまわり標準データから Ver 1. 3 になります。 過去のひまわり標準データの手引き• ひまわり標準データのサンプルデータ• ひまわり標準データ Ver1. ひまわり標準データ Ver1.

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