じゃり ン 子 チエ 舞台。 じゃりン子チエの舞台は西成の萩之茶屋!釜ヶ崎の語源はオカマ?

関西じゃりン子チエ研究会:じゃりン子チエの街

じゃり ン 子 チエ 舞台

長文が苦手な方、活字に馴れていない方は、戻った方が無難です 笑】 大阪人として真っ先に思いつくのが、やっぱじゃりン子チエですね〜。 大阪弁も違和感なけりゃ、雰囲気まで違和感ないし(笑) で、ネットでまことしやかに語られてる、じゃりン子チエにまつわる、あるウワサがあります。 「主人公のチエちゃんは被差別部落の人で、じゃりン子チエは部落差別反対のメッセージか含まれている」 そう本に書いてる評論家もいますが、結論から言います。 ガセです。 これを語るには、大阪の黒歴史を説明しないといけません。 あの池上彰さんも、「大人の事情」によりこれは公には解説できまい 笑 じゃりン子チエの舞台は、アニメでは通天閣がある新世界になってますが、原作は萩之茶屋という所です。 萩之茶屋というところは、あの泣く子も黙る日本屈指のスラム街…というのは過去の話、全国の皆さんに色々ご迷惑をおかけした(笑)前大阪市長の橋下さんがクリーニングしちゃった上、外国人バックパッカーの溜まり場になって今はすっかり綺麗になっちゃった日雇労働者のメッカである「あいりん地区」の一角になります。 「あいりん地区」というのは行政が勝手につけた勝手な名前で、旧名は「釜ヶ崎」と言います。 ここは元々、今の「大阪の秋葉原」こと日本橋の電気街にあった貧民街 スラム街 が、明治中期にコレラ流行の発生地として強制クリーニングを喰らい、路頭に迷った乞食同然の貧民が紀州街道沿いに再集合し街になったのが始まりです。 実は「釜ヶ崎」という名称も実は正式な地名ではないスラングで、「鳶田(飛田)」「堺田」などの地名もあったのに何故か「釜ヶ崎」。 いつ「釜ヶ崎」という名前になったのか、そもそもなんで「釜ヶ崎」という名前なのかは全くデータがなく、今でも大阪史の謎となっています。 そして大正時代、事もあろうに ? その傍らに飛田新地という遊廓が出来て大繁盛、「釜ヶ崎」はその「門前町」として繁盛し、各地から人がやってきました。 彼ら目当ての一杯飲み屋や食堂が集まり、あのじゃりン子チエの風景の原型が出来上がりました。 大阪の地下鉄御堂筋線に「動物園前」という駅があります。 名前の通り天王寺動物園の前にある駅なのですが、実は「釜ヶ崎」の前にあり、「飛田遊廓」の最寄り駅(徒歩5分)という裏の顔も持っています。 この駅の出口を一つ間違えると、そこはとても日本とは思えない別世界・・・というのももはや過去形どころか、過去完了形になりつつありますが、動物園前駅が出来た頃の飛田遊郭は、日本でも最大の大きさの遊廓の一つになっていて、同じく大阪にあった、遊女数、売上数、客数日本一の「遊廓三冠王」こと松島遊廓のしっぽを、もう一息でつかみそうな勢いでした。 しかし、交通の便が悪いのが玉に瑕。 そこで、動物園前ってタテマエは駅名そのままやけど、飛田遊廓への客を運ぶために作られたんじゃないか!?というのが、俺のささやかな仮説です。 動物園前には「新世界」という副駅名があって、通天閣への最寄りでもありますが、「飛田遊廓口」「釜ヶ崎前」なんて裏駅名が過去に存在したかも!?しかし、戦前戦後すぐの好きものたちは、動物園前で降りて鼻息を荒くしながら夜の街へ消えていった・・・ことは確かです。 「釜ヶ崎」にはある伝説があります。 それは「男娼」のメッカだったということ。 「男娼」とは娼婦ならぬ「娼男?」、売春婦ならぬ「売春男」のことで、飛田が「女を抱く」なら釜ヶ崎は「男」を抱く所。 昭和初期には既に全国区になっていたくらい有名で、「東の上野、西の釜ヶ崎」と言われてたそうです。 今の東京の「男系」のメッカは新宿2丁目ですが、戦前は上野だったそーです。 そして、上野は今のゲイ、釜ヶ崎は女装した男のメッカでした。 戦後も「日雇い労働者の町」ではなく、飛田の「門前町」として、そして男娼のメッカとして有名だったのですが、今はその面影すらなく、今の雰囲気を見てもにわかに信じられません。 でも、当時の風俗ルポを見ると必ず書いてあるし、何よりこんな人がこんなことを書いています。 『好きものの旅行者たちが、新世界・飛田周辺を歩いてひどい目にあった、という話をときどき聞く。 むりもないのだ。 背のすらりとした美人に言い寄られてしかるべく交渉して、いざ寝てみると男だったというのである。 この界わいは男娼が多い。 かつては、もと陸軍軍曹やもと海軍少尉の男娼もいた。 かれらは、戦場で鍛えた勇気もあり、腕力もあった。 客が気づいて、 「モノが違うやないか」 とひらきなおっても、腕では負けていなかった。 当然、かれらが受け取るべき正当の代価を取り上げた。 べつに私はかれらを悪いとは思わない。 間違う客のとんまさに責任がある、というのがこの界わいの論理なのだ』 司馬遼太郎 昭和36年12月のエッセイより このエッセイは司馬遼太郎の出世作『竜馬がゆく』を書き始める1年前のもので、まだ駆け出しの作家の頃のものですが、当時大阪市西区に住んでいた司馬遼太郎も地元民として知ってるほど有名でした。 そして何より、このエッセイはすべて「現在形」で書かれています。 つまり、司馬さんが書いた昭和36年時点では「現役」だったということです。 そして、もう一つの伝説は、「オカマ」の語源になったということ。 「オカマちゃん」の語源は諸説ありますが、「釜ヶ崎」から来たという有力な説があります。 「オカマ」という言葉は大正14年には既にあったことは、俺が見つけた資料から確認済みなのですが、「釜ヶ崎」に集まった貧民は金がない。 でも性欲は溜まる。 おまけに隣に日本でも3本の指に入る大色街が出来た。 余計にムラムラが溜まる。 今みたいに発散する娯楽がほとんどない中、欲求不満は爆発しそう。 そこで、「釜ヶ崎」の男娼の出番です。 彼らは飛田の半額くらいだったらしく、 「しゃーないわ、金あらへんさかい、『カマ』にしとこか」 と男を買う。 そして、あいりん地区の隣には、もう一つ「訳あり」の地区がありました、いや、現在進行形であります。 それが、その昔は「西浜」と呼ばれた被差別部落の存在。 西浜地区は江戸時代初期の地図にも「穢多村」として出てくる、今でも面積はぶっちぎり日本一の被差別部落なのですが、そもそも革製品を扱う職人が集まったのが始まりらしく、江戸時代から「穢多」として差別はされていたものの、西日本全域の革製品の製造・商売の独占権をGETして、明治時代には銀行や学校を自力で作れるほど裕福だったことは案外知られていません。 元々元祖の西浜地区は、今のJR芦原橋駅前のほんの一角だけだったのですが、明治時代以降に革製品や紡績業の工場や問屋、地方の被差別部落から集まった従業員の住宅が集まり、工業地帯としてエリアが広がっていきました。 しかし、工業化により江戸時代からの「元穢多」の富裕層(ブルジョアジー側)は西浜を離れ、関西の中級〜高級住宅地へと散っていきました。 残ったのは雇われた側の貧民のみ。 そして、元々は接していなかった「釜ヶ崎」と接するようになり、2つの「訳あり地区」が隣接するようになった、という歴史があります。 こんな歴史はなかなか公では語れませんが、コテコテ大阪人でもここまで知ってる人は少なく、こういう黒歴史を知らない人が、「釜ヶ崎(=あいりん地区)」と「西浜地区」をごっちゃにしてしまっている事情もあって、なんだか2つの地区がイコールみたいなイメージがあります。 「じゃりン子チエ被差別部落民説」も、中途半端な知識しか持たない人が言い出した、デマに近いウワサなんでしょう。 まあ、ネガティブなイメージだけならどっちも「目くそ鼻くそ」なんでしょうけどね。 でも、上に書いたように、釜ヶ崎ことあいりん地区は今年でやっと100周年くらいに対し(公式にはいつ成立したのかは不明)、西浜は少なくても400年以上の歴史を持ち、文献に残る日本でいちばん古い部落の一つなので、「格」が全く違います。 で、「じゃりン子チエ部落説」の根拠の一つに、「ホルモン焼き」があります。 確かに原作でもアニメでも、チエちゃんはホルモンをせっせと焼いています。 ホルモンとは牛の内臓のことですが、被差別部落の住民のもう一つの「特権」に、牛の屠殺権というものがあります。 だから牛を解体するのも彼らの「特権」で、解体した時に出たホルモンも、事実上タダで仕入れて売りさばくことも可能でした。 明治以降に肉食の習慣が身についた日本人ですが、ホルモンはとにかく安くてスタミナもつき、おまけにお隣が日本有数のホルモン「生産」のメッカなため、「釜ヶ崎」の貧民や労働者には大人気。 萩之茶屋だったら、歩いても10〜20分くらいが「供給先」なので、輸送コストもほぼゼロだったはず。 なので、ホルモンを食べさせる店も格安で提供できたはずです。 大阪ではホルモンと言えば地元のソウルフードでふつうに食べてるのですが、おそらく関西以外でホルモンといえば、「部落住民が食べるもの」というイメージがあるのかもしれません。 その証拠に、「部落料理」なるものが大阪を含めた全国にあって、それは牛の内臓系の料理が多かったりします。 牛の内蔵(ホルモン)を食べる=部落民というイメージから、大阪人以外の人が「チエちゃん部落民説」を唱え始めたのかもしれません。 mixiユーザー 2016年04月23日 20:02 男娼、最近までいましたね・・・。 15年ほど前に深夜に新世界辺りをウロウロしていると、「あ〜ら、お兄さん遊ばない〜?」とストッキングからすね毛をのぞかせたワンレンボディコンとか白粉塗った下に髭剃り跡が残る和服姿とか結構な数たむろしてました。 部落料理と言えば、かすうどん、さい干しがありますが最近はテレビで取り上げられたせいか、かすうどんを出す店が増えてますし、さい干しも土産物屋で見かけるようになりました。 飛田は長らく足を向けてませんが、環状線の外側はまだまだ昔の貧民窟の雰囲気は残ってますね。 mixiユーザー 2018年12月11日 22:02 確かに釜ヶ先はエタ村でもヒニン村でもありませんね。 飛田はヒニン村でした。 日本橋の長町などのスラム街から、万博の為に強制移住させられた人が集まってできました。 かつては南海平野線に飛田電停、南海天王寺支線に飛田大門、飛田大通りという駅がありました。 2020年• 07月• 08月• 09月• 10月• 11月• 12月 2019年• 2018年• 2017年• 2016年• 2015年• 2014年• 2013年• 2012年• 2011年• 2010年• 2009年• 2008年• 2007年• 2006年• 01月• 02月• 03月• 04月•

次の

関西じゃりン子チエ研究会:じゃりン子チエの街

じゃり ン 子 チエ 舞台

大阪が舞台になった小説や漫画は多い。 その多くはキタ、ミナミ、道頓堀、天王寺、新世界……など日本中の誰もが知っている大阪である。 誰が最初に言いだしたのか知らないが、 新世界あたりを案内するとき「じゃりン子チエの舞台になったのが、ここや」と紹介する人が多いときく。 大阪のガイドブックなどを引っ繰り返してみても、そんなことは、どこにも書いていない。 81年にアニメ「じゃりン子チエ」 東京ムービー新社・毎日放送制作・全65話 が全国ネットで放送された初期の頃 「ジャンジャン横丁」といった看板や通天閣が描かれるシーンが多かった。 アニメの後期部分では「通天閣」は姿を消したが「ジャンジャン横丁」という看板は、最後まで消えることはなかった。 ところが原作に「ジャンジャン横丁」は1度も登場していない。 通天閣も風景として2コマだけ登場しているが、チエの家の近所ではなかったり、はるか遠くの風景として描かれていたりする 1巻4話、2巻8話。 ただ、1巻だけを読むかぎり、読み方によっては、チエの家の近所に通天閣があるような印象も受けるが、その後、近所の風景として通天閣は登場していないので「新世界」説は却下してもいい。 「じゃりン子チエ」こと 竹本チエの家の正確な住所は「大阪市頓馬区西萩」である。 大阪には現在も過去にも「頓馬区」というところは実在しない 6巻7話。 それなら「頓馬区西萩」は大阪のどこにあると考えられるのか、原作単行本からの検証を試みたい。 チエの家の近所の「西萩駅」からは難波までの切符しか買えないので、難波を起点にする、高架を走る鉄道路線の沿線に「西萩駅」のモデルがあると考えられる 21巻3話。 すると、近鉄、南海、JRの3路線のどれかにしぼられる。 ただし、原作で、この事実が明らかになるのは84年のこと。 当時「JR難波」駅は「湊町」という駅名だったのでJR沿線に「西萩駅」となる駅がないということになるため、JR線は除外してもよい。 13巻12話の中に「 天王寺…、北田辺…、針中野、矢田…、河内天美…」という猫の会話が登場するのだが、これらは近鉄南大阪線の駅名である。 が、近鉄南大阪線は阿倍野橋駅を起点としているため、これも除外していい。 難波を起点とする南海、近鉄線の駅名をたどっていくと 南海高野線に「萩ノ茶屋」という駅が存在する。 驚いたことに萩ノ茶屋駅は西成区にあり、なんとなくではあるが地図上から「西萩駅」のモデルのように感じられる。 さっそく、現地へ行ってみる。 駅に降り立った瞬間、驚いた。 駅の形が「西萩駅」そのものなのである。 ホームは「島」型で、ホームの中央に1ヵ所だけ階段があり、下りると改札へ出る。 駅の改札を出て右に券売機があり…なんといっても、駅の形 駅舎という恰好のいいものではない… が「西萩駅」なのである。 萩之茶屋徘徊 萩ノ茶屋駅と西萩駅には共通点も多いのだが、違う点も一応指摘しておきたい。 確かに改札を出て右側に券売機があり『じゃりン子チエ』のそれとそっくりなのだが、萩ノ茶屋駅の場合、その券売機のすぐ隣に時計屋があるのだ。 ちょうど、神戸の元町高架商店街のように店を構えている。 駅の東側、つまり改札を出て右側、すなわち原作で言うところのチエの家方面へ徘徊してみる。 駅前に「萩之茶屋本通」というアーケードのある商店街が真っすぐに伸びる。 商店街は天王寺方面まで伸びていた。 ちょっと、原作とは違う風景だ。 原作では駅のそばにはアーケードのある商店街はない。 むしろ、原作に近い風景は駅の西側にあった。 この「萩ノ茶屋」という名前でピンときた人もいると思うが、 駅の東側は「あいりん地区」といわれる、日雇い労働者が多く生活している街でもある。 いわゆる「釜ヶ崎のドヤ街」である。 ここでは詳しく触れないが「日雇い労働者の街」が、意外にもテツをはじめ原作の中の登場人物の思想や信条に影響を与えているのである。 また、この界隈はホルモン焼屋が意外と多い。 訪れた時期が夏だったためテツのように雪駄履きの人も多く見かけることができたことも付け加えておきたい。 地図上から、チエが通う「西萩小学校」のモデルではないかと踏んでいた「萩之茶屋小学校」も、全く校舎の造りが違っていた。 もしかすると、ここは『じゃりン子チエ』の街ではないかもしれない。 富士の樹海に迷い込み、死を覚悟したかのような感情を抱きつつ、駅の西側方面を目指すことにした。 駅の西側はアーケードのない商店街が広がり、なんとなく『じゃりン子チエ』の世界に似ている。 と思ったのも束の間、 商店の壁の掲示板に「西萩北振興町会」なる貼り紙が目に飛び込んできた。 「おぉ、これは!」 諦めムードから一転。 原作の代替品ではなく、ついに、そのものを発見した。 地名で言えば、駅の東側を西成区萩之茶屋、駅の西側を西成区花園北というのだが、あきらかに「西萩地区」は実在していることになる。 萩之茶屋の西側なので「西萩」なのだろう。 「もしかして『チエちゃん』は実在するのでは」 ディズニーのアニメを見て感動した後に、ディズニーランドに行き、さらに感動を深めたミーハー心理というのか、ファン心理というのか、なんといっていいのかわからないが、次つぎと原作に登場するモノを見つけて舞い上がった私は、さらに周囲を徘徊してみることにした。 おバァはんの名前と同じ「菊」という屋号の店を2件発見するが、それぞれコインランドリーや散髪屋だった。 また「だるま屋」という屋号の店もあるが、これは眼鏡屋。 極めつけは「てっちゃん」というスナックを発見するが、マンションの1階に店があるので、原作に程遠いものであった。 結局、それらしきモノは発見できず「西萩」の街を後にした。 西萩町は実在した 『日本地名大辞典・大阪府』 角川書店 によると、今の花園北1~2丁目、旭1~3丁目、鶴見橋1~3丁目の一帯を1973年まで「西萩町」という地名で呼ばれていたのだ。 さらに、昭文社が1965年に発行した『大阪市精図』 関西じゃりン子チエ研究会会報第4号=94年6月発行=に地図を掲載している にも「西萩町」がしっかりと登場している。 この地図では、そればかりか『じゃりン子チエ』の西萩地区に接していると思われる「南萩」「立花」「東萩」「入舟」「北萩」「萩町」や地獄組がある「海西」、ヨシ江が少女時代に住んでいた「南海」の各地区に類似した地名を「西萩町」の周りに見つけることができた 3巻8話、10話、7巻5話。 そのモデル地区と、現在の地名との対称を表にしてみたので、ご覧いただきたい。 こればかりか 登場人物名に由来する地名も見受けられた。 大阪の人ならピンとくると思うが、地獄組ボスのレイモンド飛田の「飛田」 現在の西成区山王 は天王寺の南にあった遊廓の地名。 また、テツの幼なじみの丸山ミツルの「丸山」は、西成区に隣接する阿倍野区丸山通に由来していると考えられる。 おまけに、飛田地区と丸山通の中間には「市設南霊園」という墓地があるのだが、ここは、かつて小鉄とジュニアが戦った墓場ではないかと推定される 2巻8話。 『じゃりン子チエ』に登場する地名は、ほぼ実在していたことは、既にここまで明らかになった。 しかし、原作を読み込んだ読者なら気づいているのかも知れないが、私たちを悩ませているのは、 西萩地区のオアシス「ひょうたん池」の存在である。 その風景から天王寺公園の河底池ではないかと推測し『秘密』でも、そのことを書いたのだが、数名の読者から「違うのでは?」という指摘がなされた。 異論を唱える大阪出身者からも、こう指摘された。 「ひょうたん池は木が少ないが、河底池の周辺はジャングルのように木が茂っているではないか」 しかし「西萩地区」から近い実在の大きな池といえば、ちょっと遠いが、天王寺公園の河底池しかなく、木が多い少ないの差はあるが、風景もよく似ているし、池の形も、どことなく「ひょうたん型」に見えなくもない。 そこで『秘密』本の協力者や読者らで作る「じゃりン子チエ研究会」は「ひょうたん池探索部会」を自然発生的に発足させ、その候補となりそうな池をピックアップすることにした。 前出の『大阪市精図』の西萩町周辺に「池」のつく地名が多いことから「もしかすると昔は池があったのではないか」という線で研究を試みる者もいた。 特に「西皿池公園」 西成区潮路 の形がひょうたん型で、しかも、そこに池があったこともわかったが、昭和時代に入って池が埋められたため「ひょうたん池」の確証は得られずじまいだった。 もし、池があったとしても、調査担当者曰く「狭すぎる」とのこと。 結局、「ひょうたん池」のモデルには、決定的な確証がなく迷宮入りとなりかけた。 そんなときに朗報が飛び込んできた。 なんと原作者・はるき悦巳先生が週刊誌の対談記事で「ひょうたん池」のモデルについて語っている部分があることが、発見されたのである。 『朝日ジャーナル』80年8月8日号の対談記事「なぜ『少女よ大志を抱くな』なのか・マンガ『じゃりン子チエ』の原風景」の中で原作者自身が、 「近くに、 チエの公園のモデルみたいになっている、茶臼山というとこがあって、そこと天王寺の美術館のまわりに木があったぐらいで、それ以外は、木なんてあらへん。 そこに中学一年のときまでおったんやけど、やたら人間も多うて、面白いことばっかりやった」 と語っているのであるのである。 そういえばテツのオリジナルソング「トラのフンドシ」の中に 「チャブス山でドンコつり~」という歌詞が出てくる 4巻3話。 「チャブス山」とは、その 天王寺公園の河底池の横にある「茶臼山古墳」である。 ドンコとは小魚の俗称である。 山で魚は釣れないので、この「トラのフンドシ」は天王寺公園の河底池を歌っているのである。 さらに、この池が現実に「ひょうたん池」と呼ばれていたことを示す「資料」も見つかった。 上方落語「天王寺詣り」の中で、天王寺の周辺を案内する下りに「茶臼山の前がひょうたんの池」という一節がある。 西萩地区の地図 ここまで、明確に舞台のモデルが実在しているのなら、地図を作ることは可能…と私たちは考えた。 そこで、原作全巻、すべてのコマをチェックして、次の地理的情報をピックアップしてみた。 道路に面する建物の位置 角地か、大通りに面しているかなど• ある建物から別の建物へ移動する際の方向 例えば、チエの家を出て右方向に西萩小学校がある…など• の移動途中の目印 角を曲がるのか、直進するのか、高架をくぐるのか…• 建物の位置をプロットするために必要な屋号や名称 例「チエちゃん」「マサルの家」など• その他、地理的情報 地名、電話番号、年中行事が行なわれる地点など 1~65巻まで1. から5. までに該当する情報が含まれている123コマをピックアップ。 このうち重複するものや、屋号などで存在することはわかっているが、位置関係が不明なもの、地獄組やコケザルの家などのように西萩地区にはないものなどを削除した42コマを厳選して、矛盾なく地図を完成させることとなった。 しかし、厳選したコマでも矛盾があるものがある。 例えばチエがいつも利用している赤電話から菊の家へ行くまでに、角を右へ曲がり、次の角を左方向を曲がらなければならない 6巻151頁 が、菊の家から堅気屋へ行くときに、堅気屋の右方向から入ってくる場面が多くある。 チエの家と赤電話の位置を中心に考えると、遠回りでもしなければ、このようにはならないのだ。 ただ1回だけ、急用で菊が堅気屋と菊の家を往復したときに、堅気屋の出入口の左から出て、左から入ってくる場面があった。 これだけが位置関係を矛盾せずに説明できるのである 文字で書くと分かりにくい!! 方角については具体的な方角の記述が少なく矛盾点も多くあるため、判断材料として月の欠け方と、ある地点で、その月が見えている時間を元に方角を割り出した。 昼間の建物の影で判断する方法もあったが余計に矛盾を生み出すので、月を判断材料に用いた。 こうして、半ば強引な地図を作成したが、これを実在する萩之茶屋駅近辺と合わせると、実在のそれとは、区画からして、かなり違っていることがわかった。 特に「ひょうたん池」は、チエの家から見て真北になるが、原作者がモデルとした河底池は、萩之茶屋地区から見て北東方向で、高架の向こうにある。 かなり遠いうえに天王寺の繁華街を通過しなければならない。 学校のマラソン大会のコースとしては不向きである。 区画を考えなければ、チエが通う西萩小学校は市立萩之茶屋小学校、西萩公園は萩之茶屋北公園と位置的にピッタリと合うが、地域的には旧東萩町なので、学校名、公園名からして矛盾してしまう。 ところで、私たちの作成した西萩地区の地図は必ずしも完璧なものとは言えないが、原作には、これらの矛盾も超越した、どうしても理解しがたい最大の矛盾があるのである。 超常現象なのか。 わざわざ経由しているのか…なんと、 花井の家からチエの家へ行くのに大阪府北部で京都府と接する枚方市を通るのである。 それは5巻40頁の1コマ目。 花井の後に「株式会社谷垣工業 枚方営業 所? 」という文字が見えるのだ。 西成マンガ騒動を考える 96年初頭。 大阪を舞台にした連載マンガが、その中で、ある一言の注釈を付け加えたために連載中止となってしまった。 「気の弱い人は近づかないほうが無難なトコロ」 この一言に地元の団体が抗議。 そのマンガを連載していた雑誌社は筆者の謝罪と連載の中止を決めた。 『じゃりン子チエの秘密』を書くにあたって、いろいろなマンガを評論した本を書店で立ち読みしたことがある。 その本の題名は思い出せないのだが、その本には『じゃりン子チエ』の明確な舞台は実在しないと書いていた。 現実に「西萩」が実在している していた 以上、この論理は覆されることになるのだが、そこに「漫画論」が踏み込んではいけないタブーであったとすれば、この論理もわからなくはない。 『じゃりン子チエ』には「西成」という地名は1度も登場しない。 大阪の区名だけをとりあげれば、競艇場のある「住之江」、カルメラ兄弟が露店をだしていた「住吉」など実在の地名が登場しているにもかかわらず… 15巻7話。 『じゃりン子チエ』の街は、お世辞にも「ガラのいい街」とは言えない。 かといって、単に「ガラが悪い」とも言い切れないのである。 そもそも「ガラ」とは外見判断だけのことであって、内面的な視点は含まれていない。 しかも「悪い」となれば、外部を受け付けない排他的な街を印象付ける。 逆に、その言葉を用いた者は「ガラが悪い街」に一度も足を踏み入れたことのない排他的人間であることまで、ばれてしまう。 西萩地区は決して排他的ではない。 東京から花井家へ嫁いできた朝子は完全に、西萩地区の住民になったし、どこかの温泉町からカルメラ兄弟と結婚した姉妹にいたっては「わたし、この辺、楽しくって好きよ」と言っている。 56巻7話 誰にでも門戸を開放した街であって、少なくとも東京みたいに、地方から来た人間を「イナカもの」扱いするような超閉鎖的な街ではない。 むしろ、この視点で考えれば、西萩地区よりも多くの漫画出版社がある東京の方が「ガラが悪い」のである。 ここで問題になっているのはフィクションの世界であって、現実の話ではない。 ただ、フィクションの中で実在している地域を名指しで、なんの根拠もなく「ガラが悪い」としたところに、問題漫画作者の不注意があった。 スイカを知らない人間に「スイカは辛い食物」であると書けば、その読者は「スイカは辛い物なのだ」と思うことと同じである。 いかにその部分を、それらしく、しかも、実物を損なわないで表現できるか…現在の作家や漫画家、クリエーターの腕の見せ所…資質が問われている。 「在日」説と「部落」説 クレームがついた話題ではないが、呉智英氏の著書『現代マンガの全体像・増補版』 史輝出版 は『じゃりン子チエ』について大きくページを割いている。 この中で、舞台は西成区と特定したうえで、竹本家やヒラメちゃんをはじめ、多くの登場人物が、なんらかのコンプレックスを抱えていることから在日朝鮮人や被差別部落出身者ではないかと論じているのである。 評論は勝手であるが、どうも腑に落ちない。 確かに大阪市は在日韓国・朝鮮人の人口比率が全国トップである。 呉氏が、そう指摘するのも、この辺りからだろうと思われる。 その「在日朝鮮人」説であるが、この説を覆す登場人物が数多くいる。 竹本家、平山家、百合根は確実に日本国籍を持っている。 なぜなら、選挙へ投票に行っているからだ。 12巻5話 このとき投票に行かなかったカルメラ兄弟のうち、弟分は四国出身で実家が代々のミカン農家であることが判明している。 18巻10話 ただ兄貴分については、明確な根拠はないが、姓が「菊崎」という点から考えても、この呉説は考えにくい。 なぜなら、かつて日本が朝鮮半島に侵略していた頃、天皇の命令によって、朝鮮人は日本名への改姓を強制させられた事実がある。 多くの人は自分の姓を残すために、改姓させられた姓に、もとの姓を残す努力をした。 日本へ強制連行させられた朝鮮人は、日本が敗戦した後も、日本人による差別や虐待をおそれて、そのまま「日本人」として生活している。 だからといって、彼らが彼らを抑圧していた日本の国花であり、天皇の紋章である「菊」を姓に取り入れるのは、現在の韓国人が抱く対日感情からして考えられないからだ。 続いて「被差別部落」説であるが、確かに、大阪には「同和地区」が多く点在していることは事実なのである。 だからといって、半ば決め付けるのもいかがなものであろうか。 もともと、この差別制度は江戸時代のもの。 まもなく21世紀が近づこうとしているのに、二百年前に廃止された根拠のない差別制度にこだわっているようでは呉氏のセンスが問われるというものだ。 しかし、原作だけで、この説を論破することはできないのは残念である。 そもそも、漫画に限らず、現実の人間にしたって、誰が朝鮮人だ、誰が韓国人だ…などと指摘するのは、国際化の時代に逆行している行為である。 ましてや同じ日本国民が、あいつは部落出身者だ…といって区別するのもバカげている。 そんなことを知ったからといって人間の価値は変わらないし、生き方を他人の意志で左右される筋合いもない。 もし、こういう評論をフィクションの解析に持ち込むならば、もう少し、多くの日本人が天皇や将軍の名の下に、差別制度を作り、なぜ我々は、それに迎合したのか…。 そこまで言及したからには、それが、その人物の人格形成で、どのように影響しているのか…理論的に進めてもらいたいものだ。 漫画研究を「遊び」とするならば、徹底的に後腐れなく遊んだほうが面白い。 呉氏のような仕事を、小鉄が知ったら、こう表現するだろう。 「遊びやとしたら、ちょっと趣味が悪いなぁ」 24巻4話.

次の

じゃりン子チエ

じゃり ン 子 チエ 舞台

大阪のホルモン屋を舞台にした人気漫画「じゃりン子チエ」。 活発で明るい主人公のチエちゃんと、ダメ親父のテツ、その他にも個性的なキャラが多く面白いアニメ漫画ですね! 原作のはるき悦巳さんは、浪速高等学校出身で何を隠そう僕の大先輩。 なので、高校の図書室にはじゃりン子チエの漫画が全巻おいてるのです。 (今は知りません 笑) さて、昔から気になっていたことが 「じゃりン子チエの舞台はどこなのか?」 という事です。 アニメでは、チエちゃんのホルモン屋近くに電車が通っていたり、通天閣が街の風景として描写されています。 結論から言っちゃうと、じゃりン子チエの舞台は 〝大阪府西成区〟しかも萩之茶屋周辺。 最近、萩之茶屋によく通うようになり気づいたのです、絶対ここだと。 その根拠を説明したいと思います。 そして、もう一つが何と西成あいりん地区の〝釜ヶ崎〟の語源がオカマだという説です。 諸説ありますが、にわかに信憑性がある釜ヶ崎説。 それでは検証していきましょう! じゃりン子チエの舞台は西成〝萩之茶屋〟 まず、じゃりン子チエの舞台がなぜ萩之茶屋周辺かと言うとアニメの描写と実際の風景が類似している点が多いことです。 これは後ほど画像で説明しますが、驚くほど酷似しているが分かります。 次に、チエちゃんの家の住所は 「大阪市頓馬区西萩」となっています。 頓馬区??という地名は、大阪には過去を遡っても存在しません。 しか〜〜し!! 〝西萩〟という地名は存在していたんですね。 それが現在の大阪市西成区花園北周辺。 他ブログを参考にすると、今の花園北1~2丁目、旭1~3丁目、鶴見橋1~3丁目の一帯を1973年まで「西萩町」と呼ばれていたそうです。 読みにくいのでここに書き出します。 「当町は明治初頭、西成郡今宮村の一部であった。 大正十四年四月大阪市に編入され西成区西萩町となった。 昭和四十八年十一月住所表示の実施にともない花園北二丁目・鶴見橋一丁目・旭一丁目・萩之茶屋二〜三丁目の各一部となった。 町名は当町域付近に所在した萩の植込みをもつ二軒の茶屋(萩之茶屋)に由来し、南海電鉄の駅名として使われたのち、駅の西側に位置する地域であることによりつけられたものである。 平成九年二月 大阪市西成区役所 」 また、作者のはるき悦巳さんは中学生の時まで西成区の萩之茶屋周辺に住んでいて、新世界やジャンジャン横丁で、朝から晩まで映画を見たり、走り回っていたそうです。 このような根拠から、じゃりン子チエの舞台はほぼ西成で間違いないでしょう。 子供の頃に住んでいた西成の楽しかった思い出を、チエちゃんという人物として作品にしたのではないでしょうか! 萩之茶屋(西萩)の風景 ・南海高野線萩ノ茶屋駅(西萩駅) ・弘治小学校(西萩小学校) ・甘味処、ぜんざい ・ホルモン屋 ・通天閣 ・小鉄とアントニオ(笑) 釜ヶ崎の語源はオカマ? 〝釜ヶ崎〟とは、西成あいりん地区の旧名称です。 その釜ヶ崎がオカマから来ているという話。 当時は、地区に一軒だけしかなかった銭湯。 朝風呂は、地元住民にとって大変貴重な存在だったそうです。 しかし、開店と同時に我先にと店内に入ろうとすると、か弱いオカマは吹き飛ばされてしまいます。 の姿を番頭さんが見て 「おい、何してんねん。 仕事にあぶれてお金に困った労働者が、女装して身売りするケースもあったそうです。 釜ヶ崎と言えば飛田新地。 飛田新地の娼婦は料金が高く、日雇い労働者にとっては手が出せませんでした。 「今日は金ないからカマで我慢するか〜」 そこで安い料金の男娼を相手にして我慢していたそうです。 難波や天王寺からも近いので一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか! ある意味で新鮮な時間を過ごすことができると思います。 それでは今日は三音英次さんの「釜ヶ崎人情」でお別れしましょう。 good bye! 立ちん坊人生 味なもの 通天閣さえ 立ちん坊さ だれに遠慮が いるじゃなし じんわり待って 出直そう ここは天国 ここは天国 釜ヶ崎 身の上話に オチがつき ここまで落ちたと いうけれど 根性はまる出し まる裸 義理も人情も ドヤもある ここは天国 ここは天国 釜ヶ崎 命があったら 死にはせぬ あくせくせんでも のんびりと 七分五厘で 生きられる 人はスラムと いうけれど ここは天国 ここは天国 釜ヶ崎 Copyright C 2020 泉州ノマドライフ! All Rights Reserved.

次の