ほていさん。 布袋尊(七福神)とは何の神様か|ご利益・ご真言やモデルとなった僧を解説

布袋

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寺社関連の豆知識 七福神(布袋) 布袋は七福神の中で唯一実在の人物である。 中国の唐末期(九〜十世紀)に実在した禅僧 契此(?〜917)がモデルになっているという。 この僧は、大きくふくれた腹をしており、いつも手に杖を持ち、大きな布袋を背負い、施しを求めて市中を歩いていた。 そして、布施を受けた物は何でも袋の中に入れて歩いたという。 この布の袋から布袋という名ついたと考えられる。 背は低く、額や鼻にしわを寄せ、満面に笑みを浮かべた姿は愛嬌があったようだ。 しかも、この僧は超能力の持ち主で、雪の中に寝ても少しも濡れず、人の吉凶を占って百発百中だったといわれる。 その布袋和尚の人徳から、福運、大量のご利益があるといわれている。 弥勒信仰 どういう訳か布袋は 弥勒菩薩の化身として信仰されるようになる。 弥勒菩薩は、 兜率天という場所におり、仏陀が死んでから五十六億七千万年たったとき、地上に降りてきて人々を救済するとされている。 中国では、早くから弥勒菩薩の信仰があり、しばしば政治の道具として利用されてきた。 たとえば、中国で唯一の女帝となった則天武后(624?〜705)は僧たちにニセのお経を作らせ、自分が弥勒菩薩の生まれ変わりであると主張した。 布袋もそのような政治の道具として利用されたのであろう。 「弥勒の舟」 このような弥勒信仰が日本にも入り、社会が混乱するたびに、弥勒菩薩が地上に降りてきてユートピアが出現するという信仰がわきあがった。 また、弥勒菩薩が現われるときには、海の彼方から米俵をいっぱい載せた「弥勒の舟」がやってくるともいわれた。 まさに宝船と同じである。 この弥勒の舟がやってくることを表現した、沖縄地方のミロク踊りでは、布袋の仮面をかぶったミロク(弥勒)を中心とした行列がでる。 布袋と唐子 布袋は、室町時代から水墨画の画題として好まれ、その福々しい姿から、七福神のひとつに数えられるようになった。 その後、さまざまなテーマで描かれたが、興味深いのは、唐子と布袋を取り合わせた絵で、数人の唐子が布袋の大きなおなかに乗ったりして戯れるものである。 この布袋図は、室町時代から江戸時代を通じて数多く描かれているが、それがなんと、安産の祈願やお守りに使われたという。 おそらく、布袋の大きなおなかと唐子という図が、妊婦と子供にたとえられたのだろう。 ただし、中国には布袋と唐子という取り合わせはないらしい。 このように布袋の場合、実在の人物がさまざまな形で描かれていくにつれ、もともと持っていたユーモラスな部分がどんどん広がっていき、最後には福神にまでなってしまったのである。 まさに、人々の願望と想像力の産物といえるだろう。 (小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」東京散歩倶楽部編著および生活人新書「東京七福神めぐり」から転載) 布袋案内 散歩道で紹介している中で布袋様が祀られているのは次の寺社である。 タイトル 寺社名等 写真 備考 あり 瑠璃殿へ向かう参堂の右側 無し 境内にある七福神堂内.

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淡路島七福神めぐり【護国寺】にこにこ笑顔の布袋尊像と「ホティさん」が観光の見所か😆

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寺社関連の豆知識 七福神(布袋) 布袋は七福神の中で唯一実在の人物である。 中国の唐末期(九〜十世紀)に実在した禅僧 契此(?〜917)がモデルになっているという。 この僧は、大きくふくれた腹をしており、いつも手に杖を持ち、大きな布袋を背負い、施しを求めて市中を歩いていた。 そして、布施を受けた物は何でも袋の中に入れて歩いたという。 この布の袋から布袋という名ついたと考えられる。 背は低く、額や鼻にしわを寄せ、満面に笑みを浮かべた姿は愛嬌があったようだ。 しかも、この僧は超能力の持ち主で、雪の中に寝ても少しも濡れず、人の吉凶を占って百発百中だったといわれる。 その布袋和尚の人徳から、福運、大量のご利益があるといわれている。 弥勒信仰 どういう訳か布袋は 弥勒菩薩の化身として信仰されるようになる。 弥勒菩薩は、 兜率天という場所におり、仏陀が死んでから五十六億七千万年たったとき、地上に降りてきて人々を救済するとされている。 中国では、早くから弥勒菩薩の信仰があり、しばしば政治の道具として利用されてきた。 たとえば、中国で唯一の女帝となった則天武后(624?〜705)は僧たちにニセのお経を作らせ、自分が弥勒菩薩の生まれ変わりであると主張した。 布袋もそのような政治の道具として利用されたのであろう。 「弥勒の舟」 このような弥勒信仰が日本にも入り、社会が混乱するたびに、弥勒菩薩が地上に降りてきてユートピアが出現するという信仰がわきあがった。 また、弥勒菩薩が現われるときには、海の彼方から米俵をいっぱい載せた「弥勒の舟」がやってくるともいわれた。 まさに宝船と同じである。 この弥勒の舟がやってくることを表現した、沖縄地方のミロク踊りでは、布袋の仮面をかぶったミロク(弥勒)を中心とした行列がでる。 布袋と唐子 布袋は、室町時代から水墨画の画題として好まれ、その福々しい姿から、七福神のひとつに数えられるようになった。 その後、さまざまなテーマで描かれたが、興味深いのは、唐子と布袋を取り合わせた絵で、数人の唐子が布袋の大きなおなかに乗ったりして戯れるものである。 この布袋図は、室町時代から江戸時代を通じて数多く描かれているが、それがなんと、安産の祈願やお守りに使われたという。 おそらく、布袋の大きなおなかと唐子という図が、妊婦と子供にたとえられたのだろう。 ただし、中国には布袋と唐子という取り合わせはないらしい。 このように布袋の場合、実在の人物がさまざまな形で描かれていくにつれ、もともと持っていたユーモラスな部分がどんどん広がっていき、最後には福神にまでなってしまったのである。 まさに、人々の願望と想像力の産物といえるだろう。 (小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」東京散歩倶楽部編著および生活人新書「東京七福神めぐり」から転載) 布袋案内 散歩道で紹介している中で布袋様が祀られているのは次の寺社である。 タイトル 寺社名等 写真 備考 あり 瑠璃殿へ向かう参堂の右側 無し 境内にある七福神堂内.

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おくどさんを守る神々|【京都市公式】京都観光Navi

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あらすじ 昔、沖に鬼ケ島をのぞむ海辺のある村に、五分一(ごぶいち)どんという男がいた。 この五分一どん、その名の通り身長が普通の人の五分の一ほどしかなかったので、いつも村の衆から小男、小男と言われ馬鹿にされていた。 それで悔しい思いをしていた五分一どん、いつか村の衆を見返してやろうと思っていた。 そんなある日、村の衆が集まり酒盛りをしていた。 この席で五分一どんは、鬼ケ島には打出の小槌という宝があり、これさえあれば何でも望みがかなうという話を小耳にはさむ。 そこで五分一どん、その打出の小槌を自分が持って帰って来て、皆をあっと言わせてやろうと決心。 五分一どんは早速恐ろしい鬼ケ島へと向かう。 鬼ケ島に着くと、人間の匂いを嗅ぎつけた鬼どもが、すぐに近くに寄ってきた。 恐ろしかった五分一どんだったが、機転を利かせて四つん這いになり、妙な声で鳴いてみせた。 すると鬼どもは、小さな五分一どんを見てこれを人間とは思わず、珍しい生き物だと思い床の間に置いた。 こうしてまんまと鬼どもの屋敷に入った五分一どんは、打出の小槌を手に取ると、一目散に逃げ出した。 ところがこれに気づいた鬼どもが後から追いかけてくる。 そこで五分一どんは打出の小槌を振り、自分の体を怪力を持つ大男に変えて、追ってくる鬼どもをコテンパンにやっつけてしまった。 五分一どんは意気揚々と村に帰り、村人に打出の小槌を見せた。 すると、村人は小槌から大判小判を出してくれと五分一どんにせがみ、ついには出てきた小判をめぐって取り合いをする始末。 この醜態を見た五分一どん、こんな物を人間が持っていてはロクな事にならないと考え、打出の小槌を大黒様に預けることにした。 そこで五分一どんが大黒様の社の前でこれまでの経緯を話すと、社の中から大黒様が現れた。 大黒様は五分一どんの誠意を褒め、七福神の一人になるように言う。 こうして五分一どんは福の神の仲間入りをして、その名も布袋様と名付けられたということだ。 投稿者: やっさん 投稿日時 2012-5-29 7:43 ナレーション 市原悦子 出典 下野敏見(未来社刊)より 出典詳細 種子島の民話 第二集(日本の民話34),下野敏見,未来社,1962年11月25日,原題「ほていさん」,採録地「西之表市上石寺」,話者「遠藤友二」• 新着コメント(コメント24件)• 匿名希望。

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