水中 メガネ 草野 マサムネ。 草野マサムネ×松本隆、2人の詩人が魅せる「水中メガネ」の向こう側

草野マサムネ×松本隆、2人の詩人が魅せる「水中メガネ」の向こう側

水中 メガネ 草野 マサムネ

Chappie、オトナモードも歌う『水中メガネ』。 この曲の、悲しいほど美しい歌詞には、どんな意味があるのでしょうか。 松本隆と草野マサムネ、2人の関係性から、その真意に迫ります。 偉大過ぎる作詞家・松本隆 1980年代のヒット曲のクレジットを見ると、「作詞・松本隆」と記されている曲の多さに驚かされます。 寺尾聰『ルビーの指輪』、近藤真彦『スニーカーぶる〜す』、松田聖子『赤いスイートピー』、C-C-B『Romanticが止まらない』、薬師丸ひろ子『探偵物語』、イモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』、YMO『君に、胸キュン。 』そして、大瀧詠一の名盤『A LONG VACATION』…。 あれもこれも、記憶に残っているヒット曲の作詞は松本隆ではありませんか。 歌は世につれ世は歌につれと言いますが、松本隆はまさに1980年代の歌謡史を築き上げた作詞家です。 作詞家になる前の松本隆は、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂と結成した、日本のロックバンドの草分け「はっぴいえんど」のドラマーでした。 文学青年だった事から作詞を担当し、『風をあつめて』のような、英語を使用しない「日本語ロック」を確立します。 はっぴいえんど解散後、作詞家として本格的に活動をスタート。 歌謡曲全盛期の立役者となった1980年代の後、1990年代に入ってからも、KinKi Kidsの『硝子の少年』で、『ルビーの指輪』を上回るヒットを記録します。 そして、現在に至るまでに松本隆が生み出した2000曲以上もの作品は、もはや音楽史を超えて日本史に残る一つの文化となり、2017年、学術芸術の業績に対して授与される紫綬褒章を受賞しました。 スピッツと昭和歌謡 4人全員が1967年(昭和42年)生まれのスピッツのメンバーは、バリバリの昭和っ子です。 松本隆が生み出すヒット曲が巷で流れる時代に多感な10代を過ごした、まさに松本チルドレン。 時にソフトに、時にハードなスピッツ特有の音楽性は、幼少のみぎりに自然と耳にしていた昭和歌謡と、その後の洋楽の影響が相まって完成したと言えます。 そんなスピッツと草野マサムネは、多くの昭和歌謡をカバーしています。 その中の松本作品『タイム・トラベル』を、1991年、松本隆作詞活動30周年記念ライブ「風街ミーティング」に参加した草野マサムネが、子供の頃に聴いたこの曲の思い出と共に歌いました。 失われた時間を映す「水中メガネ」 1999年7月にリリースされた『水中メガネ』は、昭和歌謡のレジェンド松本隆と、松本隆の歌詞を聴いて育った昭和っ子草野マサムネの、夢のコラボレーション作品です。 架空の着せ替えキャラシンガーChappie(チャッピー)へ提供された、知る人ぞ知るこの曲は、2015年、松本隆作詞活動四十五周年記念トリビュート「風街であひませう」で、草野マサムネのセルフカバーとして日の目を浴びる事になりました。 草野マサムネが書いたスピッツの歌詞にも共通する、人の心の奥を覗き込むような、松本隆の歌詞の世界に浸ってみましょう。 人間の脳に蓄積される記憶とは、透き通る水のようなもので、透明な記憶の水槽の底に沈んだ宝物は、手を伸ばせばすぐに掴めるような気がします。 しかし、実際の水深はとても深くて、宝物には手が届きません。 失った宝物を探すために、人は水中メガネをかけ、水面に顔をつけて底を覗き込み、そして、記憶という水槽の奥深くへとゆっくりと潜って行く。 「水中メガネ」は、思い出を振り返る時に、自分の目線が第三者的な目線に切り替わる事を意味しているのです。 その現実から目をそらし、記憶の水槽の中へと沈み込めば、通りがかった少年の目線になって、水中メガネの越しのスクリーンの中に、次々と映し出される情景を見る事が出来ます。 打ち寄せる波の音が遠くから聞こえて来ます。 そして映像は、砂浜に座る自分と恋人の姿へと移り変わり、潮騒の音は、会話すらなくなってしまった2人の気まずい沈黙へと変わります。 その隣には、孤独感で感情が爆発しそうな自分がいます。 2人がまだ愛し合っていた頃の、あの夏の日です。 海風に乗って漂うムッとするような潮の匂いすら感じるほど、手を伸ばせば届く、すぐそこに。 それは、失われた時間は、どれだけ手を伸ばしても二度と戻って来ない、その悲しみを知ってしまった少女の姿でした。 松本隆と草野マサムネ、2人の作品には共通する部分がたくさんあります。 人間の感情への深い洞察力、聴く人を旅へと誘う世界観、次世代へと受け継がれて行く普遍性、日本語への愛。 2人の詩人の手にかかれば、失われた時間を探す人間のせつなささえも、これほど美しく、映し出す事が出来るのです。 TEXT 岡倉綾子.

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草野マサムネ 水中メガネ 歌詞

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Chappie、オトナモードも歌う『水中メガネ』。 この曲の、悲しいほど美しい歌詞には、どんな意味があるのでしょうか。 松本隆と草野マサムネ、2人の関係性から、その真意に迫ります。 偉大過ぎる作詞家・松本隆 1980年代のヒット曲のクレジットを見ると、「作詞・松本隆」と記されている曲の多さに驚かされます。 寺尾聰『ルビーの指輪』、近藤真彦『スニーカーぶる〜す』、松田聖子『赤いスイートピー』、C-C-B『Romanticが止まらない』、薬師丸ひろ子『探偵物語』、イモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』、YMO『君に、胸キュン。 』そして、大瀧詠一の名盤『A LONG VACATION』…。 あれもこれも、記憶に残っているヒット曲の作詞は松本隆ではありませんか。 歌は世につれ世は歌につれと言いますが、松本隆はまさに1980年代の歌謡史を築き上げた作詞家です。 作詞家になる前の松本隆は、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂と結成した、日本のロックバンドの草分け「はっぴいえんど」のドラマーでした。 文学青年だった事から作詞を担当し、『風をあつめて』のような、英語を使用しない「日本語ロック」を確立します。 はっぴいえんど解散後、作詞家として本格的に活動をスタート。 歌謡曲全盛期の立役者となった1980年代の後、1990年代に入ってからも、KinKi Kidsの『硝子の少年』で、『ルビーの指輪』を上回るヒットを記録します。 そして、現在に至るまでに松本隆が生み出した2000曲以上もの作品は、もはや音楽史を超えて日本史に残る一つの文化となり、2017年、学術芸術の業績に対して授与される紫綬褒章を受賞しました。 スピッツと昭和歌謡 4人全員が1967年(昭和42年)生まれのスピッツのメンバーは、バリバリの昭和っ子です。 松本隆が生み出すヒット曲が巷で流れる時代に多感な10代を過ごした、まさに松本チルドレン。 時にソフトに、時にハードなスピッツ特有の音楽性は、幼少のみぎりに自然と耳にしていた昭和歌謡と、その後の洋楽の影響が相まって完成したと言えます。 そんなスピッツと草野マサムネは、多くの昭和歌謡をカバーしています。 その中の松本作品『タイム・トラベル』を、1991年、松本隆作詞活動30周年記念ライブ「風街ミーティング」に参加した草野マサムネが、子供の頃に聴いたこの曲の思い出と共に歌いました。 失われた時間を映す「水中メガネ」 1999年7月にリリースされた『水中メガネ』は、昭和歌謡のレジェンド松本隆と、松本隆の歌詞を聴いて育った昭和っ子草野マサムネの、夢のコラボレーション作品です。 架空の着せ替えキャラシンガーChappie(チャッピー)へ提供された、知る人ぞ知るこの曲は、2015年、松本隆作詞活動四十五周年記念トリビュート「風街であひませう」で、草野マサムネのセルフカバーとして日の目を浴びる事になりました。 草野マサムネが書いたスピッツの歌詞にも共通する、人の心の奥を覗き込むような、松本隆の歌詞の世界に浸ってみましょう。 人間の脳に蓄積される記憶とは、透き通る水のようなもので、透明な記憶の水槽の底に沈んだ宝物は、手を伸ばせばすぐに掴めるような気がします。 しかし、実際の水深はとても深くて、宝物には手が届きません。 失った宝物を探すために、人は水中メガネをかけ、水面に顔をつけて底を覗き込み、そして、記憶という水槽の奥深くへとゆっくりと潜って行く。 「水中メガネ」は、思い出を振り返る時に、自分の目線が第三者的な目線に切り替わる事を意味しているのです。 その現実から目をそらし、記憶の水槽の中へと沈み込めば、通りがかった少年の目線になって、水中メガネの越しのスクリーンの中に、次々と映し出される情景を見る事が出来ます。 打ち寄せる波の音が遠くから聞こえて来ます。 そして映像は、砂浜に座る自分と恋人の姿へと移り変わり、潮騒の音は、会話すらなくなってしまった2人の気まずい沈黙へと変わります。 その隣には、孤独感で感情が爆発しそうな自分がいます。 2人がまだ愛し合っていた頃の、あの夏の日です。 海風に乗って漂うムッとするような潮の匂いすら感じるほど、手を伸ばせば届く、すぐそこに。 それは、失われた時間は、どれだけ手を伸ばしても二度と戻って来ない、その悲しみを知ってしまった少女の姿でした。 松本隆と草野マサムネ、2人の作品には共通する部分がたくさんあります。 人間の感情への深い洞察力、聴く人を旅へと誘う世界観、次世代へと受け継がれて行く普遍性、日本語への愛。 2人の詩人の手にかかれば、失われた時間を探す人間のせつなささえも、これほど美しく、映し出す事が出来るのです。 TEXT 岡倉綾子.

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水中メガネ 草野マサムネ 歌詞情報

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人物 [ ] 概要 [ ]• 身長167. 5cm、体重53kg、血液型はO型である。 弟と妹がいる長男である。 スピッツのメンバーは全員が長男である。 草野家の長男は代々名前に「正」の字がつく。 祖父は正実、父親は正典である。 10代の頃からで、持ち。 とを使用している。 自身の性格について本人は、「あまのじゃくでひがみっぽい子分肌」と語っている。 来歴 [ ]• 中学時代は部の部長をしていた。 1年生の1学期までは部であった。 出身高校は。 バンド初体験は高校の学友と組んだである。 「ラディッシュ」というバンドを組んでおり、当時はギタリストであった。 同級生であるによると、学校で一番のギターテクニックの持ち主としてロック好きの男子に慕われるタイプであった。 に入学し、東京都府中市に住む。 同級生であると意気投合し、バンドを結成した。 音楽サークル「重音」に所属した。 先輩は(後にアレンジャーとして参加するが在籍)やなどである。 に影響を受けて音楽活動をいったん休止した。 東京造形大学を中退しへ入学した。 田村の自宅にがあったことから交流は続き、バンドは再結成に向かう。 趣味・嗜好など [ ]• のファンである。 地元福岡のライブではアンコール時にのレプリカユニフォームを着用する。 本人曰く昆虫博士、地図オタクである。 好きな色はである。 好きな作家は、好きな詩人はである。 時は急性ストレス障害を経験した。 音楽的影響 [ ]• 小学生のころ、ラジオのヒットチャートカウントダウン番組のベスト10を毎週ノートにつけており、などの洋楽や、などのやを愛好していた。 今でも影響を受けたアーティストとしてチープ・トリックを挙げている。 バンドに興味を持つようになると、などの・に夢中になり、に傾倒をはじめた。 チーターズではチータことの「」をパンクロック調で演奏したり、「」を風に演奏したりするなど奇をてらい、洋楽と歌謡曲の融合傾向が当初より見られた。 学生時代にスピッツの前身といえる「ザ・スピッツ」を結成した当時はパンクかぶれだったが、の「」に出会い、自分の求めていた音楽を先にやられたことにショックを受けて自信をなくし、一旦音楽活動を休止した。 再開してもしばらくはTHE BLUE HEARTSの影響を抜け出せず、自分の個性を模索し始め、たどり着いたのが、を参考としたアコースティックギターを持ってのフォーク・ロックだった。 洋楽だけではなく、、、など日本のロックからも多大な影響を受けている。 パンク音楽を脱した影響の一つに、のアルバム『』を挙げている。 音楽活動 [ ]• スピッツの楽曲の全てのと、ほとんどのを担当している。 作詞、作曲の際の名義は本名の「 草野正宗」を用いる。 他アーティストへの楽曲提供もしている。 聴き手自身でいろいろな解釈をしてもらいたいからと、自身で楽曲の解説をすることは少ない。 作詞に関しては他のメンバーから全面的に信頼されており、外部プロデューサーのも一切口出しをしたことがない。 歌手としても多くの作品に参加している。 ファンタジー() 作詞のみ。 アルバム『TRANSISTOR GLAMOUR』収録。 青い星のまん中で() 作詞のみ。 アルバム『froggie』収録。 野生のチューリップ() もともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲。 2ndアルバム『』の時にレコーディングされたが収録には至らず、歌詞を一部変更して提供した(その後、『』にオリジナルを収録)。 テディベアに埋もれて() 1994年、スピッツとしてライブで一度だけ演奏され、1年後にrosyに提供となった。 プロデュースは、後にスピッツの9thアルバム『』を手がける。 流れ星() これももともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲(後に『花鳥風月』でセルフカバー,シングル『』になった)。 ちなみに辺見えみりはスピッツの大ファンであり、この曲と同名のアルバムでは「」「」「」もカバーしている。 愛のしるし() これも後に『花鳥風月』でセルフカバー。 メロディーはもともと『』の候補曲として書いていたもの。 から依頼を受けたため、同じく依頼を受けたと電話で相談してお互いに提供することを決めたという(トータス松本は「ネホリーナ・ハホリーナ」を提供)。 () 作曲のみ。 作詞は。 後にイベントでセルフカバーした。 2015年には松本隆のトリビュートアルバムで草野が歌う音源が発表された。 (後述)• 帰り道() 映画『』主題歌。 映画監督のから作詞作曲の依頼を受けた(ちなみに、塩田監督の『』に、スピッツの「運命の人」が主題歌に抜擢された経緯がある)。 Never on Sunday() 作曲のみ。 アルバム『』収録。 恋のエチュード() アルバム『Splurge』収録。 のCMソングにもなった。 夜明け() アルバム『宴 〜party〜』収録。 編曲と演奏にはスピッツのメンバー全員が参加。 よなは徹とは過去に、スピッツの「ナンプラー日和」(11thアルバム『』収録)でコラボレーションしている。 また、スピッツにもライブでのみ演奏された楽曲に「夜明け」というものがあるが、提供曲とは異なる楽曲である。 () アルバム『Ken Hirai Singles Best Collection 歌バカ2』のSpecial Disc「歌バカだけに」収録。 後に『見っけ』でセルフカバー。 スナオになりたいね/(シングル/1993年2月21日) カップリング曲「今さら I LOVE YOU」にバッキングボーカルで参加。 WHAT'S UP?/(2000年3月10日) 6曲目「18の夏」にアコースティック・ギターで参加。 /(2002年5月27日) 亀pact discの1曲目「灰色の瞳」(とのデュエット曲のカバー)で椎名林檎とデュエット。 /(2003年12月10日) スペシャルディスクの1曲目「Sleep John B」(の「Sloop John B」のカバー)にコーラスで参加。 /(シングル/2007年6月20日) アコースティックギターとサビ部分の作詞、ボーカルで参加。 アルバム『』ではアルバムバージョンで収録。 トリビュート(2007年7月11日) の「」をカバー。 編曲はの。 /(2009年5月27日) 11曲目「わかれうた」 のカバー でとデュエット。 / トリビュート・カバーアルバム(2015年6月26日) 2曲目「」を歌っている。 出演 [ ] ラジオ番組• (、2018年1月7日 - ) 脚注 [ ] [].

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