武豊 京都 自宅。 武豊アブミプロジェクト連載②騎手がこだわる馬具は「オーダーメイドの世界」

武豊と佐野量子が京都の自宅を初公開!テレビ朝日『豊さんと憲武ちゃん!旅する相棒~1泊2日京都編~』!

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会議室でアブミに足を乗せ、踏み方(体重の乗せ方)を技術者に説明する武豊。 武が訪れた場所は、愛知県清須市にある株式会社MS製作所の会議室。 事前に本人から提供されたアブミを3Dスキャンし、そのデータを元にオリジナルアブミをどうやって作っていくのか、という会議である。 武豊は何に? どこにこだわっているのか? 武豊:「気になる箇所は2ヵ所あるんですが、1つはこのアーチの部分」 この日のために、京都の自宅から持参したブーツを手に、自身でアブミに乗せて、技術者たちに身振り手振りで説明する。 武豊:「親指の付け根っていうのかな…。 ちょうど馬と足とが擦れる部分なんですが、この部分が痛い、気になるんです」 靴下をおもむろに脱いだ武豊。 足の親指の付け根の外側に、硬くタコのようにマメができていた。 まさに、ゴルファーが手の平にマメをつくり、硬く盛り上がっているそれだった。 武豊:「プロゴルファーのマメもそうですが、ジョッキーも、みんなじゃないんですよ。 僕の乗り方なのか、体質なのか、僕はもう何十年もココにアブミタコができますね」 技術者もプロ集団である、武豊が言葉でいう「アーチの部分」という意味が、何で違和感を覚えているのか、実際の騎乗姿勢など見て一気に理解が深まった。 武豊:「僕のイメージは、もっとアーチを丸くすれば良いのかな?と」 それに対して、技術者は「でも…そうすると、馬に当たるカーブがきつくなりませんかね?」と言った。 武豊は黙って聞いている。 技術者:「例えば、アーチの円形(円柱)がありますよね、その足に接している箇所を、削り方を変えて面にしたり、角をミリ単位で微調整しながら…」 具体的な詳細は、企業秘密ゆえに記載できないが、時間にして1、2時間ほど、武豊が作業服を着た匠の職人と打ち合わせしているのは興味深かった。 その日も、朝6時から栗東トレセンで調教し、昼過ぎに京都の自宅に戻り、着替えて新幹線で名古屋に入り、夕方から打ち合わせ。 精力的という言葉をよく聞くが、普段の武豊の行動力そのままに、時間に対して価値を見出し、自分から行動することにストレスを感じていない。 彼ほど大物になると、そこに自分がいれば、周りのみんなが行動してくれるかもしれないが、自分の「欲」に対して所作が貪欲である。 武豊:「自分が行った方が良いなら絶対行った方が良いし、立場とか、そんなの考えたこともないし。 だってその方が効率的だし、ベストな選択だと思うけどな…」 人類に共通して与えられている「時間」、それは「無限」ではなく「有限」であり、お金で唯一買えない資源こそが、時間なのである。 (左)ジョッキーブーツは想像以上に薄い素材で、軽量化のためインソール にクッションは無い。 (右)ゴルフグリップを装着した特注のムチとグローブを手に「ゴルフとアイテムは似てますよね」と武豊。 「ジョッキーが唯一こだわれる部分」 打ち合わせ途中、技術者の1人が言った。 技術者:「(騎手の)ブーツって、こんなにペラペラなんですね…、もっと硬いとうか、革のブーツかと思ってました」 オーダーメイドで作られるジョッキーブーツは、自身の足形から成型し、素材、ソール形状、重さに至るまで完全オーダーメイドである。 その重さは400グラム前後。 武豊:「ジョッキーは重量制限がありますから、ブーツもそうですし、鞍もそうですし、アブミもそうですよね。 僕は比較的マシ(体重コントール)な方ですが、騎手によっては何十グラムで鬩ぎ合っているジョッキーもいますし、今回のアブミでも、人によって機能性より重さ重視の人もいますし…」 親指付け根が痛い、という理由も何となくだが分かってきた。 想像以上に薄い素材を隔てて、アブミの金属に接して、その金属が馬にも触れて、騎乗中の重心移動に応じて前後に動かす。 電話口では分からないことだらけだった。 互いの時間を有効に活用できた。 では、武豊とって、馬具とは? 武豊:「まぁ、例えばムチ1本持ってれば、世界中どこでも騎乗できるし(実際は鞍など必要だが心持ちの部分)、自分たちジョッキーが唯一こだわれる部分でもあるし、馬との接点だから、とても重要(な道具)ですよね」 レース中の勝負服は、騎乗馬主に合わせてJRAが用意する。 ゼッケン(馬にかけられている番号の布)もそうである。 また、馬に帰属する道具として、頭絡(トウラク・馬の頭部に取り付ける一式)関係やハミ(口に挟む金属)などがある。 騎手に帰属する道具は限られている。 だからこそ、こだわりや自分にあった機能性も追求したい。 武豊が愛用している4種類のアブミ。 打ち合わせも佳境に入った頃だった。 ふと、同行していた筆者が聞いた。 小林:「武さん、今回のアブミって何個ぐらい必要なんですか?」 武豊:「全部に欲しいね!」 小林:「全部って…?」 武豊:「俺は少し多い方だけど、ジョッキーって20鞍とか持ってて、俺は30鞍ぐらいあって、鞍ごとに付け替えるモノじゃないから」 知らない事だらけだった。 言われてみればそうだが、そんなに数を所有しているものだとも知らなかった。 レースとレースの合間は30分、騎乗馬ごとに斤量(キンリョウ・レース毎の負担重量)も違えば、鞍も変える。 そのたびにアブミを付け替えている時間などない。 MS製作所の会議室、その空気が変わった。 武豊が帰郷についたあと、MS製作所の技術者と迫田副社長と筆者の緊急ミーティング。 小林:「知ってました?そんなに数があるの」 迫田:「初めて知りました」 技術者:「1つだけ、究極のモノを作る覚悟でしたが、今考えている製法だと、30個を作り終えるのは何ヵ月も先になりますし、コストの問題も…」 MUQUアイアンの精度と削り出しの美しさに惚れて、その閃きから、武のアブミプロジェクトは始まった。 しかし、本来のMUQUの製法は、約10kg鉄の塊から、約24時間かけて、やっと1つ削り出すのが限界。 製造コストは、1個作るのに実に何十万円もかかってしまう。 武豊と約束した次のミーティング日時は、12月1日中京競馬場で開催されるG1レース「チャンピオンズカップ」。 急きょ、実際にレースが行われる会場にて、試作品を持ち込んでテストを行うことになったのだった。 17歳で騎手デビュー。 以来18度の年間最多勝、地方海外含め100勝以上のG1制覇、通算4000勝達成など、数々の伝説的な最多記録を持つ。 2005年には、ディープインパクトとのコンビで皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2例目となる無敗での牡馬3冠を達成。 50歳を迎えた2019年も、フェブラリーステークス、菊花賞を制覇。 昭和・平成・令和と3元号同一G1制覇を達成した。 父は元ジョッキーで調教師も務めた故・武邦彦。 弟は元ジョッキーで、現調教師の武幸四郎。 Santos Kobayashi 1972年生まれ。 アスリートメディアクリエイション代表。 大学卒業後、ゴルフ雑誌『アルバ』の編集記者になり『Golf Today』を経て独立。 その後、スポーツジャーナリストとして活動し、ゴルフ系週刊誌、月刊誌、スポーツ新聞などに連載・書籍の執筆活動をしながら、映像メディアは、TV朝日の全米OP、全英OPなど海外中継メインに携わる。 現在は、スポーツ案件のスタートアッププロデューサー・プランナーをメイン活動に、PXG(JMC Golf)の日本地区の立ち上げ、MUQUゴルフのブランディングプランナーを歴任。

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武豊騎手、自宅初公開&妻・佐野量子が20年ぶりテレビ出演

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武豊の年収って本当にすごいの?年間推移で比較! 今や、誰もが知る一流ジョッキーとなった武豊。 競馬ファンならずとも、その名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。 天才ジョッキー・武豊の年収の推移から、「武豊がジョッキーとしていかにスゴイのか?」ということについて深く検証していきましょう。 デビュー当時の年収もすごかった? 1987年に競馬学校を卒業し、プロのジョッキーとなった武豊。 デビュー初年度の年収は4400万円だったと言われています。 この数字だけを見ると、武豊といえどもデビュー当時の年収は平均的だったと思われるかもしれません。 ただ、9割以上の騎手の年収が平均で1000万円以下であることを考えると、やはり逸材だったのでしょう。 デビューから3年で1億円超え! 1987年に騎手としてデビューしている武豊。 デビュー初年度の年収は4400万円でしたが、翌年度には2倍の8800万円になり、さらに、1990年には早くも1億円を超えています。 騎手の世界で見てもこれはかなり異例のスピードであり、引退の時点まで年収が1000万円を超えない騎手が大半を占めていることを考えると、武豊がいかに早熟の天才であったか、ということがわかります。 最高年収は2億5千万円! デビュー初年度から順調に自身の最高年収を更新しつづけている武豊。 2005年には年収が最高額の2億5千万円に達しています。 騎手の世界では年収が1億を超えるだけでも非常にめずらしいのに、単独で2億5千万円も稼ぐというのはやはり神業であり、並大抵の成績ではありません。 野球の世界ならイチロー、サッカーなら中村俊輔、芸能界ならダウンタウン、というレベルに匹敵するほどの年収であると言えるでしょう。 騎手の生活は意外と厳しい? 騎手というと華々しい職業であるようなイメージがあるかもしれませんが、実情はかなり厳しいようです。 平均年収が1000万円以下の騎手が大半を占めており、地方競馬所属の騎手の場合、勝利数が少なければバイト生活を余儀なくされるケースも少なくないようです。 騎手にとってメインの収入はレースによる獲得賞金と騎乗依頼料です。 当然、人気の低い騎手にはチャンスがまわってこず、経験が少ないため余計に勝率が下がる、という悪循環も考えられます。 その意味でも、デビュー初年度から年収が4000万円を超えていた武豊は騎手の中でも群を抜いたエリートであり、ずば抜けた天才であったと考えられます。 現在の年収は? デビュー当時から平均をはるかに超える年収をキープしている武豊。 2017年の年収は7000万円と、ピーク時の2億5千万円からは低く推移しているように思われるかもしれません。 武豊は2010年のレースで落馬事故を起こし、肩や腕を中心に骨折しています。 一時は引退説も流れるほど深刻な事故でしたが、懸命のリハビリによって見事に復活し、年収も1億円を回復しています。 年収の推移で見ると若干下がっているようにも思えるかもしれませんが、キャリア30年以上で年収7000万円というのは驚異のレベルで、現在も引退していないというのはもはや奇跡のレベルです。 弟・武幸四郎の年収は? 武豊の弟・幸四郎もジョッキーとして活躍していました。 武幸四郎の最高年収は、4884万円とのこと。 武豊の2億5千万円と比較してしまうと低く感じられるかもしれませんが、騎手の平均年収が1000万円前後であることを考えると、やはり並外れた数字であることがわかります。 ちなみに、武幸四郎はすでに騎手を引退しており、現在は調教師として父・邦彦の跡を継ぎ、馬たちを育てているようです。 武豊に引退説? 20代から競馬界のトップに立ち、第一線を走りつづけてきた武豊も、現在は50代のベテラン。 体力的にも確実に衰えていることは、本人もすでに認めています。 さらに、2010年には深刻な落馬事故を起こしており、長期間の療養生活に入っていることから、引退説が本格的にささやかれはじめています。 ただ、武豊本人としては引退説に言及しておらず、50代をむかえた現在も現役のジョッキーとして闘いつづけています。 武豊の年収がすごい理由!生涯成績もダントツ? ここまで、武豊の年収の推移についてデビュー当時から見てきました。 なぜ、武豊は騎手の世界でもトップクラスの年収をキープすることができるのでしょうか。 天才・武豊の強さの秘密について生涯成績とともに検証していきましょう。 JRA通算最多勝利数を達成! 武豊の生涯成績の中でひときわ目をひくのはやはり、通算勝利数でしょう。 勝利数が多いほど当然、実力がある騎手として認められることになり、騎手としてのステータスのひとつとなります。 武豊は通算4000勝以上という、JRAでも最多の勝利数を達成しており、この記録は現在も破られていません。 歴代2位の岡部幸雄の勝利数が2943であることを考えても、並外れた偉業ですよね。 「勝てる騎手」は調教師や馬主からも信頼されますから、より多くの騎乗依頼が舞い込むようになり、さらに勝つチャンスに恵まれる、という好循環に恵まれます。 ちなみに、武豊は26歳4カ月で通算1000勝を達成しており、歴代最速記録となっています。 武豊は現在までにリーディングジョッキーを18回獲得しており、最多記録となっています。 若い頃はもちろんのこと、最近でも武豊はコンスタントにリーディングジョッキーを獲得しており、引退説を見事に跳ね返しています。 CMでも稼いでいる? 誰もがその名を知るトップ騎手として、テレビやCMにも度々出演している武豊。 一流アスリートということで、CM1本のギャラだけでも数千万円は超えているようです。 さらに、最近では競馬を普及するための講演活動なども精力的に行っており、本業以外の収入も増えているようです。 武豊は破格の年収で自宅もすごい?愛車は高級車? 騎手としては破格の最高年収を獲得してきた武豊。 ネットでは自宅も豪華すぎると話題になっています。 本当に、武豊の自宅はすごいのでしょうか。 愛車についても見ていきましょう。 現在も数千万円の年収をキープしている武豊。 さぞかし愛車も高級外車なのかと思いきや、現在所有しているのは三菱自動車の「アウトランダー」。 CMのイメージキャラクターを務めたことがきっかけでアウトランダーに惚れ込み、現在は2台目を所有しているようです。 現在は奥さんとふたり暮らし? 武豊は現在、奥さんの佐野量子とふたりで暮らしています。 佐野量子は若い頃、アイドルとして活動しており、武豊ともアイドル時代に知り合い、1995年に結婚しています。 ふたりの間に子供はなく、不倫スキャンダルなどの離婚危機を乗り越え、現在も夫婦円満に暮らしているようです。 武豊の年収は2億超えで自宅も超豪華! 20代前半から天才ジョッキーとして親しまれてきた武豊。 20代で通算1000勝を達成し、最高年収2億5千万円を稼ぎ出した武豊。 現在は京都府内にある自宅で奥さんの佐野量子と暮らしており、現役の騎手として毎週のようにレースに臨んでいます。 あなたにオススメ.

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武豊とルメール、尊敬しあう間柄。「ユタカさんはずっと憧れの先輩」

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2月17日に行われたフェブラリーS(GI)。 今年、最初のJRAのGIレースを制したのは武豊騎手だった。 この週を終え、勝利数は24でトップ。 2位が昨年のリーディングジョッキーであるクリストフ・ルメール騎手で21勝だった。 その翌週、2月23、24日にルメール騎手は5勝の固め打ち。 勝利数を26として武豊騎手を逆転。 トップに立った。 一方、この週の武豊騎手は土曜日の1レースを勝利して25勝としたがその後はなかなか勝てず。 しかし、日曜日の最終12レースを優勝し、26勝目。 先に26勝目を挙げていたルメール騎手に追いついてみせた。 これで2月までのJRAの開催は全て終了し、2着の差でルメール騎手が僅かにリーディングのトップという事になった。 2人が交わした面白い会話。 昨年の暮れ、2人の間で面白い会話が交わされた時、私は偶然、その場に居合わせた。 12月16日の話だ。 この日の阪神競馬場、最終レースの妙見山特別でルメール騎手が騎乗したのは1番人気のイシュトヴァーン。 同じレースで武豊騎手は2番人気のメイショウサチシオに乗っていた。 ゴール前200mで、先に先頭に躍り出たのは武豊騎手のメイショウサチシオ。 しかし、次の瞬間、ルメール騎手のイシュトヴァーンが外から並びかけにくる。 そしてそのままあっさりかわすと、人気に応え、先頭でゴールを駆け抜けてみせた。 面白いシーンに遭遇したのはこのレースの後の事だ。 顔についたダートを洗面所で落とした2人はこう言葉を交わした。 先に武豊騎手が「あと何勝?」と問うと、ルメール騎手が「7勝です」と答えた。 イシュトヴァーンでの勝利がルメール騎手にとって2018年の205勝目。 武豊騎手の持つJRA年間最多勝記録まであと7つに迫る勝ち鞍だったのだ。

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