浜ちゃん西成。 西成・岸里に鎮座する三色旗系下町喫茶「珈琲館蒲公英」がコスパ最高過ぎで大勝利!

ごぶごぶの放送リスト

浜ちゃん西成

2017年11月29日 13:22• 今日は迎え酒してるかな?爆• 2017年11月29日 19:41• みゆきんさん 今日はお酒は飲まないですよ🎵 みゆきんさんは飲んでいるのですか~• 浜ちゃん• 2017年12月06日 07:51• 昨日から、一人西成ツアーを決行しています。 岩田屋酒店、霧島の豚鶏店、山口酒店、からし志さんを探索させていただきました。 それぞれ楽しいお店で、満足しました。 もう一泊することにしましたので、やまでらさんのブログを参考にさせていただき、 いろいろなお店を回ろうと思います。 2017年12月06日 10:09• 浜ちゃん• 2017年12月07日 18:04• 先程、なべやさんに行ったのでが、お目当ての 料理が売り切れの為、不完全燃焼で癒しを 求めてここ、山口酒店にやって来ました。 いつもながら、店主とお客さんのやり取りが とても面白くほっこりしました。 2017年12月08日 10:15•

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ノミ屋

浜ちゃん西成

「あいりん地区」「釜ヶ崎」という名はあっても、具体的にどこからどこまでを指すのか、いまいち分からない方も多いだろう。 西成区萩之茶屋、太子、山王を中心とした、簡易宿泊所(ドヤ)が立ち並ぶ一帯と考えてもらえばいいが、大雑把に言うと浪速区側の新世界や恵美須東のあたりまで労働者街が連続している。 だが、釜ヶ崎を語るのに外せないのは「萩之茶屋」エリアの存在であろう。 南海萩ノ茶屋駅を降りて東側、そこには時代の流れが止まったままのパラレルワールドが広がっている。 萩ノ茶屋駅新装模様替成ると書かれた看板が駅前に掲げられている。 平成4(1992)年というのは、地下鉄堺筋線の動物園前駅より天下茶屋駅までの延伸工事が大詰めを迎えていた頃である。 平成5(1993)年に天下茶屋延伸開業が始まったのだ。 堺筋から西に折れ、廃止された南海天王寺支線の下をくぐる地下鉄路線は、この萩之茶屋ドヤ街の暗黒地帯の真下を通り抜けているのだ。 それはそれは、多くのプロ市民やカタギじゃない市民の皆様との度重なるトラブルを乗り越えたことであろう。 最も危険な三角公園の前を通る鉄道が廃止され、地下鉄と化した今では、直接電車の窓越しに安全快適サファリパーク気分で釜ヶ崎のど真ん中を観察できなくなってしまい、悲しい限りである。 テレビ等で「あいりん地区」が社会問題的視点で報じられる機会はあれども、その殆どが三角公園周辺や西成警察などがある表面的なエリアだけに留まっている。 本当にヤバイ「裏路地」には決してカメラは入らない。 プロが入らないなら私のような素人などはとても立ち入る事のできない世界だが、それでもメディアというのは意図的に本質的な「闇」に迫る事を拒む。 それは行き着く所、営利事業であるメディアの宿命であり、なんらかの「闇」と接点を持つ企業なり団体なりに関わってスポンサーになっていたりするからであろう。 だから、そういう利害関係の接点がない「みなさまの公共放送」のNHKが稀に能力を発揮したルポを放送することもあって、驚かされる。 NHKの取材班が特集を組んだ「」はまさに現代日本の「地獄の釜の蓋」の中身を曝け出した内容の番組だった。 昔から、釜ヶ崎の日雇いのオッサンと言えば社会の最底辺であり軽蔑の的でしかなく、社会的信用もないし誰にも相手にされないような存在だったが、肉体労働を主とした限定的な業種の労働者層が集まる釜ヶ崎というコップの中における現象でしかなかった。 今では日本中で「労働者派遣業」が大手を振るい、あらゆる業種における労働力を「コスト削減」の名の下に送り出している。 人口1500万人と言われる時代、「アウトソーシング」という綺麗なオブラート言葉に本質的な議論を遮られているが、使い捨てでしかない人材で、会社の都合でいつでも首を切られ、退職金もボーナスも出ない「派遣さん」のどこが、釜ヶ崎の日雇いのオッサンと違うのだろう。 その深刻さを考え出すと、この国の将来に絶望する。 前置きが長くなったが、こうした社会問題と釜ヶ崎は根っこで繋がっている。 釜ヶ崎は「ワーキング・プア」の社会病理の縮図であり、もっと言えば未来の日本の姿。 それを前提として「西成」という病魔の正体を見極めて欲しい。 貧困が行き着く所まで行くとどうなるのか。 「リデュース・リユース・リサイクル」がより活性化されるという一例がある。 萩ノ茶屋駅の横には無造作に粗大ゴミや電化製品ゴミが山積みになった一画があり、そのゴミの山を好き勝手に労働者のオッサンが漁って、目ぼしい物がないか探している。 捨てる側の人間にとってそれがゴミでも、その日を生きるオッサンの身になれば資源であり金になるのだ。 まさにこれが、究極のエコライフ。 黒いゴミ袋に何を放り込んでも自由で分別すらしない大阪市民と大阪市環境局職員は資源を大切に考える西成のオッサンの爪の垢を煎じて飲め。 すこぶるマッドタウンな萩之茶屋界隈だが、そこにある店や建物などは本当にそのまま映画の舞台にも使えそうな程、いい味わいを醸し出している。 時代に見捨てられた街だからこそ、残された風景と言えよう。 1階に自転車屋が入るレトロな建物、その名も「銀座センター」。 イマドキの卑屈な大阪人にはとても「銀座」という憎きライバル東京(笑)の地名を冠したネーミングなどあり得ないのだが、味のある戦前建築が所々に残るのは見捨てがたい都市としての価値を感じる。 往時はショッピングセンターとして機能していたのだろう。 さらに骨董品屋まで西成はどうかしている。 「珍古萬古」とは、珍しくて沢山の古いものを扱ってますよーという意味だと思う。 おそらくそう思うが。 しかしマッドタウン西成では単なるウケ狙いで書いたとしか思えない文言だ。 南海電車の窓からこの店がまる見えである。 関空経由でラピートに乗って大阪に遊びに来た観光客に見られると、とても恥ずかしいですね。 おおよそスラム街には似合わない、黒塗りの謎のレクサス。 どう見ても893がらみとしか思えないピッカピカの高級車だが、フロントガラスの運転席部分には「契約 10000円」と書かれたパネルが置かれている。 どうやら日雇いの求人のようだが、だとすると、この車は手配師の所有する車なのだろうか。 現代日本社会はの拡大で労働者派遣業が凄まじい急成長産業としてのしあがっている。 「アウトソーシング」などと小奇麗な横文字を使っていても所詮は、こんな釜ヶ崎の手配師と同じ存在である。 「派遣さん」「ワーキング・プア」なんて言葉が登場するずっと昔から、この街には弱肉強食の社会がある。 生きるか死ぬかのギリギリの労働者が身銭を蓄えるその分け前をハネた金で富を得る手配師が高級車を転がし我が物顔で走り抜ける。 弱者を生かさず殺さずで骨までしゃぶり尽くす構造が釜ヶ崎を釜ヶ崎たらしめているものの正体だ。 地方の雇用状況の酷さを直視せよ。 現在進行形で日本中がプチ釜ヶ崎化している現状を感じはしないか? さらに萩之茶屋小学校の裏手に回ると、路地の両側には大量の不法占拠露天が軒を連ね、公道としての機能は完全に麻痺してしまっている。 普通の居酒屋から沖縄料理の居酒屋まで、各店が工夫を凝らした店を出しているが、一体営業許可や食品衛生法に基づく表示などがなされているのか、極めて不透明である。 よく見ると屋台は完全に公道上に固定されていて、エアコンまで据え付けられている。 電気はどこからもらっているのかすら分からない状態だ。 隣では、また新しい店舗を進出しようとしているのか、いかつい顔の夫婦が木材片手に小屋作りをしている最中だった。 まさに無法地帯である。 小便の匂いが染み付く南海電車のガード下は、自由の楽園。 しかしホームレスが居付く絶好の雨宿り場所なので、基本的には水を撒いたりして嫌がらせをし居付く事のないようにしている。 南海電車と地元住民がこんな看板を一生懸命作ってこしらえても、まるで意味がない。 アメ村よりも表現の自由が許される西成の南海ガード下。 南海電鉄も焼け石に水だと分かっているので、もう諦めムード全開である。 これだけの量のビラが貼られまくって、朽ちるに任されている状態。 よく見ると「三里塚」「戦後50年」などの左翼運動のキーワードが見かけられる。 一体いつに貼られたビラなのか、それすらも分からない。 それにしても、ハトを可愛がるのも犬を可愛がるのも結構な事だが、他人への迷惑を省みない人間の多いこと。 釜ヶ崎を見渡しても野良犬飼い犬の多さには閉口する。 373• 108•

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赤帽浜ちゃん運送店 (茨木市|運送,貨物梱包業など

浜ちゃん西成

西尾美也とNISHINARI YOSHIOにみる 新しいファッションのかたち セルフリノベーションやDIYなど、住宅を自分なりに手を加えて住まうことについての認識は、かなり広まっています。 ファッションの場合はどうでしょう。 手芸、リメイクといった流れがある一方で、ファストファッションの勢いがすさまじく、自分なりの衣服について立ち止まって見直すチャンスはなかなか持てないかもしれません。 美術家の西尾美也さんは、装うことにまつわるさまざまな「しがらみ」を吹っ飛ばすような作品やプロジェクトを展開してきました。 そんな西尾さんが約1年以上、大阪・西成に通って街のおばちゃん達と創作を続け、この度、ファッションブランドを立ち上げることに。 その名も「NISHINARI YOSHIO」。 ダジャレ!? そのココロを知るために、西成の山王地区に設けられたkioku手芸館「たんす」を訪ねました。 kioku手芸館「たんす」。 2012年12月、元タンス店を改装してオープン以来、3人のアーティストがここでプロジェクトを行ってきた。 この活動を進める「Breaker Project」は、2003年より地域密着型のアートプロジェクトを展開している。 西尾美也 1982年生まれ。 奈良県在住。 個性と公共性をあわせもつ衣服を題材にして、国内外でのプロジェクトを展開。 ケニア・ナイロビへの文化庁芸術家在外研修員などの経験から、アフリカと日本をつなぐ企画も行っている。 西尾さんの代表的な作品のひとつとして、見ず知らずの通行人と着ているものをまるごと交換してしまう《セルフ・セレクト》があります。 西尾さん自身がこの作品を海外で実践されてますが、抵抗なくやれるものですか。 西尾:他人が今まで着ていたものを着ることや、普段着ない種類の服を着ることに対して、もちろん、いろんな意味での抵抗や緊張はありますよ。 だけど、実際にやってみると逆かな。 西尾:恥ずかしいというよりも、開放されていく感じのほうが強いですね。 西尾:他人の服を着ている瞬間は確実にそうですね、開放感。 きっと交換した相手の人もそれは一緒だと思います。 他人と衣服を交換してそのまま過ごすのも面白いことですけど、《セルフ・セレクト》は、それぞれの普段の装いがあるからこそ開放感を感じられるんだと思います。 西尾:数十年前の家族写真を同じメンバーと装いで再現する《家族の制服》という作品もつくってますが、それも変だと感じられるかもしれない。 だけど、他の国の人が見たり、あるいは何十年後かに写真を見た人も変だと思うかどうかはわかりませんよね。 奇妙に感じるっていうのは、完全に自分自身の先入観でした。 そう思えば、身近な誰かとでもちょっと服を交換してみてもいいかもですね。 西尾:きっとカップルでやってたりしますよね。 ケニアだと友だち同士で服を交換するということは、日常的に行われていました。 服を交換するということだけでいえば、決して僕だけのアイデアではないけど、いろいろな人たちと関わるための遊びを開発しているような感じもあるんですよ。 今回の西成でやってきたことは、そういう一面もあります。 ここで「たんす」での西尾さんの活動を振りかえると、2016年12月から毎月のようにテーマを変えて、いろんなワークショップを続けてこられた。 取材時もおばちゃん達はマイペースに切ったり縫ったりを続けていた。 西尾:そうですね。 僕が過去にいろんなところでやってきた、装いに関する固定観念や思いこみを崩すようなワークショップをやってみたんですけど、これがすごく面白い反応で。 まず、何をやってもすごく抵抗の声があがる(笑)。 西尾:服に対する思いや好き嫌い、手芸のことについてなど、明確にみなさん考えをお持ちの方々なので、「なんでそんなことせなアカンの!」って返ってくるんですよ。 なんだけど、この「たんす」という場所が長く続いてるので、毎週水曜日はここに通うというのがおばちゃん達の習慣にもなってるんですね。 なので逃げてしまうこともなく、いろんなことを口々に言いながらそれでも課題に挑戦してくれる。 夕方4時には帰っていく。 みなご近所にお住まい。 西尾:最初にやったのは、古着を自由に裁断して、袖や襟といったいろんなパーツをシャッフルして、どんな服ができるか楽しみましょうっていうものでしたけど、まず1着の服をただ分解するってことができなくて。 この襟はこっちに持ってきて、この袖はあっちにって先にデザインを考えてから、そこだけを切るんですよ。 作為たっぷりに仕上げてくると。 西尾:自分はこうやりたいっていうのが強くて、しかも最後まで抵抗というか、僕の意図を理解せずにやり続けた人が、またいい作品をつくるんです(笑)。 さまざまなデニム地の衣服で再構成されたシャツ。 これが、ひとりのおばちゃんの創作物(非売品)。 外からのアーティストである西尾さんと地元のおばちゃん達のせめぎあい、それも興味深いですね。 西尾:そう、それが面白くて。 僕が設定したルールそのものから逸脱していく、このズレがすごくいいなと思って、ズレがひとつのキーワードになってきました。 で、西成と僕の名前をズラした架空の人物名がブランド名になりました。 生まれたときから、西尾さんは西成に呼ばれてたとしか思えませんね(笑)。 西尾:ちなみに、ヨシオって僕のおじいちゃんの名前でもあるんですよ。 継続する活動の過程で、少しずつ内装も変化してきた。

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