キハ 8500。 名鉄8500系

サバ州立鉄道(JKNS)−元 名鉄キハ8500系 外観

キハ 8500

キハ8500系とは、が開発したである。 概要 へ直通する北プスに使用していたの置き換え用として登場。 北プスの止後は齢が若いこともあってへ譲渡され、で運用され、最終的ににした。 後2両が内に残り、2両が譲渡となった。 性能・車体 性はと同。 つまり搭載するは社製のA-5-形を各2機搭載、変速機は3段6要素・直結2段式の液体変速機で、並みの高い加速性を獲得している。 体は長さ20m、幅2. 74mとのほぼいっぱいので、鋼製体である。 客室内部のはと似たようなもので、通路を挟んで合計4列の回転ライニングが並ぶ。 はと同じものを搭載している。 そしてあまり知られてはいないが、登場当初はを搭載していたが、直通で有った事が災いし、のが警ペとの踏み間違いをしないよう営業運転開始前に撤去されている。 その為、「」でキハ8500系を運転していてが鳴らせるのはのがこの事を知っていた為である。 運用 名鉄時代 の正より運行を開始。 近くの新検区に配置され、・新とを1日1往復する北プスをに、線内の(通称:・社線内)にも使われた。 運行開始当初、多客期にはからまでと併結運転を行うことがあり、その場合は上下とも先頭に、後ろにキハ8500系をする形を取っていた。 なお併結運転を行うひだは当初は臨時であり、晩年定期に格上げされている。 運行開始当初は新検区を9時半頃に出庫。 線甚寺にしてし、後に向けて。 で時間調整を行い、から北プスとして営業入り。 上り北プスのに到着後も一旦までしていた。 これは・新・間がの密度の高さを誇る区間であり、やに設備がないための措置である。 線内でするとしての運行が始まったのはのこと。 社線内での運用はのみであり、は甚寺での後にまで。 東分発の行としてまで行き、清掃と給のために一旦入庫。 その後までし、北プスの運用に入った。 からに戻った後もまでし、分発の山行となり、山到着後栄生までで戻って入庫していた。 ものすごく駄が多い気がするが多分気のせい。 しかし北プスは利用者が減少。 それもそのはず、からにに乗るほうが運賃が安いのとから自社の部門(現:)が「ひだ号」の運行を開始。 存在意義の薄れた北プスはに止となり、も保留となった。 会津鉄道時代 現有の、との転用による不足に起因する補充を考えていたは運用を失ったキハ8500系に着。 に譲渡を申し入れ、5両全てがへ渡ることとなった。 で譲渡整備を行い、にまでされた。 番とは当初は変更される予定だったが、北プスに着のあるからの要望もあってそのままとされた。 では2両編成2本を組み、中間1両は予備扱いとした。 こうしてキハ8500系はよりとして運行を開始。 からは方まで乗り入れるようになり、からはを経由してまで乗り入れるようになった。 末をもって中間が。 その後も先頭4両は運用されたが高速運転体の足回りのまま頻繁な加減速を必要とする運用に投入したために変速機内部のが。 新の-0・0形へ置き換えられることとなり、にした。 ににて売却先が募され、01と04が清保存会へ引き取られ、02と03は在住の職員のが落札した。 02と03は当初内へ輸送する予定だったのをの復も兼ねて内の施設「やすの郷 村」で保存されることとなった。 海外譲渡 「やすの郷 村」で保存されていた02と03はを通じての州立へ譲渡されることが決まり、にからへ向けて輸送された。 が塗り替えられたこと以外見たの大きな変更点はなく、内装もほぼ原を留めている。 ただし州立のはmmであるため、軸のが行われている。 より02単独での「切れ」状態で営業運転を開始。 単独運転中はでか、ビュートだけは線で向きを変えているが、の03の営業開始後は02と03で編成を組んでの運転となった。 しかし、2両で運転をしようにも片方が不調だとではありえない「切れ」で単独営業運転を再び行っている。 そして、頃より乗客減少により定期運用から離脱しているが、その後は団臨による運行か定期故障時の代走運用がとなった。 しかし、02はに故障し、更に追い打ちをかけるかの様にには03も故障してしまい運行となってしまったが、同年頃に2両共にが了し再び2両運転を再開している。 関連動画 関連項目•

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名古屋鉄道キハ8500系画像ファイル一覧 [AGUI NET]

キハ 8500

かつて名鉄の車両だった、特急「北アルプス号」で使われた車両「キハ8500系」 2016年現在、数多くの車両を保存する『那珂川清流鉄道保存会』にて保存され、外部のみ公開されています。 前々から足を運んでみたかった施設。 栃木県までちょっくら見に行ってきました という訳で、前日の行程の関係もあり朝の横浜駅からスタート。 宇都宮までは上野東京ラインを使って、乗換なしの楽々移動 朝から営業していた崎陽軒のシウマイ弁当を食って、のんびり栃木を目指します するめいか! ここからレンタカーでも使えば便利なのですが、今回は単独行動だったので公共交通機関を使います 那珂川清流鉄道保存会へのアクセスは、烏山線の終点「烏山駅」より、コミュニティバスに乗るルート 烏山線はおおむね2時間に1本というローカル線ですが、蓄電池駆動の「ACCUM」 アキュム で有名になりましたね 車内の雰囲気とか乗り心地とかは、殆ど電車と変わらない感じなのですが 蓄電池駆動という特性上、普通の電車と比べて色々な所が機器類で埋まっていたりします。 非電化区間をバッテリーで走る電車に揺られること55分・・・ 終点の烏山駅に到着。 「とりやま」ではなく「からすやま」です ACCUM アキュム は烏山駅に整備された架線より、折り返し発車時間まで充電中・・・ 烏山駅の駅前にあるバス停より、コミュニティバスに乗り換え 鉄道ダイヤに合わせて組まれており、12分の接続で出発となります。 那珂川町コミュニティバス 馬頭烏山線「山村開発センター行」 平日は8本ですが、 土日祝日は半分の4本しかありません!! やはり地方の事情は厳しいなぁと思いつつ・・・。 休日の利用者はあまり居ないらしく、駅から乗ってきた私が珍しいのか運転手さんが声を掛けてきました 「1本で5人乗れば多い方」とか、「地元の高校が定員割れ」とか地元の事情を耳にする。 話のなかで、那珂川清流鉄道保存会へ行く事を伝えると「上大桶」バス停で降りる事を教えて貰う 烏山駅から約20分の運賃は440円でした。 で、バス停を降りました。 こんな所に鉄道車両を保存する施設があるのかしら? なお、ローソンはありました。 お昼ご飯の入手が困難かと思って食料は買っておいたのですが、大丈夫そうですね。 で、案内的にはこの「八溝会館」という葬儀場の隣にあるらしいのですが これ入っても大丈夫なのだろうか? 明らかに葬儀場には関係なさそうな物体が見える あ、ここで間違いなさそうだ 葬儀場の門とは別に、那珂川清流鉄道と書かれた案内が出ていました そいじゃあ入ってみましょう。 なんだか三線軌条が敷設してありますが、ここは葬儀場です。 車は駐車してあるものの、葬儀場に人が居る気配が無い・・・。 モノレールっぽい車両の方を目指して歩くと、管理者の方 以降は「おばさま」表記 に会うことが出来ました。 事務所で入場料 1,000円 を支払いパンフレットを貰う 入口はモノレールが鎮座してレールの敷いてある葬儀場ですが、ここが鉄道保存会に間違いありません。 元々は工場があったそうですが、その跡地にて葬儀場と資材置き場として使っていたそうですが その資材置き場が、気付いたらこんな状態になったいたそうです おばさま談 名古屋から来た旨を伝えると、おばさまはえらく驚いたうえで 「やっぱり北アルプス?」と話し、車庫の北アルプスの場所まで案内してくださいました。 かつての名鉄車両、特急北アルプスこと「キハ8500系」の姿がそこにあり! 鉄道車両をこうやって駅ではない所から見上げると、大きく見えるなぁー!! このキハ8500系ですが、冒頭に書いたとおり名鉄の特急「北アルプス号」の車両としてデビュー 2001年に北アルプス号が廃止された後に、会津鉄道へと譲渡 その会津鉄道では2010年まで使用され廃車。 この那珂川清流鉄道保存会にて保存という流れになりました。 パッと見ではまだ綺麗な車両ですが、側面とか見ると塗装がハゲている箇所がいくつか。 車両を購入して屋根の下で保存しているとはいえ、美しい姿を保つには手もお金も掛かるそうです。 こっちなんて、こんな姿になっちゃって・・・ おばさま談 この鉄道保存会、運営母体について伺うと地元の「馬頭運送」という会社だそうです。 そして車両を集めたりと、主体となっているのはもちろん社長。 おばさまも馬頭運送の社員だそうですが、別に鉄道好きでも無く いつの間にか専任になっていたらしい 活動方針は、歴史的価値の高い鉄道車両を集めて、動かないものはレストアした上で保存する事。 運送会社にはトラックなどを整備する社員が居るため、その技術を応用して車両のレストアするという 「皆さん鉄道好きなのですか?」と伺うと、 『いや、仕事としてやってますよ』とおばさま談 車両のレストアがどうしても優先になってしまうため、貨車などは後になってしまうそうだ。 」 志摩「これだけ車両を集めて、輸送とかお金が掛かるんじゃないですか?」 おばさま「これくらいなら、ウチのトレーラーに乗せられるし、休日に社員総出で回収に行きましたよ」 志摩「え、じゃあ乗せるのに必要なクレーン車もあるんですか?」 おばさま「ウチのがあります」 志摩「社員が乗るバスは?」 おばさま「もちろんあります」 ひぇー! 話を聞けば聞くほど「驚き」しか出てこない。 ・運営母体が会社であり、 おそらく 資金がある ・車両を保存する土地がある ・技術を持った社員が居る ・時前での運送手段を持っている 様々な条件が揃ってこのレベルの展示と保存が出来ているようだ。 車両を集めてるだけかと思ったら、実は凄い集団による施設だったみたいだ。 ただ、やはり本業とレストアが優先のため、展示に関する部分は手が回っていない様子。 動態保存車両はイベントの日などに動かすそうです 他にも色々な車両とか貨車とか保存されてるのですが、面白そうなものをピックアップして紹介 こちらは貨車なのですが、自動車をそのまま乗せて運べるやつ。 実物を見るのは初めてだ 何故か古い型式のベンツが乗ってます。 吊された状態で展示されている千葉都市モノレール 喫茶店として使おうと思って設置したものの、夏は暑くて冬は寒く実用に耐えなかったらしい・・・。 モノレールのレールを再現した訳ではないので、レールに使う機器は付近に鎮座 主に機関車が多い保存会ですが、寝台特急北陸に使われたブルートレインも置いてあります。 車両限界とか、そういうのあまり考えられず敷設した軌道上に車両を乗せたため 連結部とか結構大変な事になっている・・・。 なお、このブルートレインもレール上を別の場所へと動かすことがあるそうですが 脱線騒動はよくあるらしいです おばさま談 なお、脱線したら自社のクレーンを持って来て直すらしい。 馬頭運送すげぇ! 1時間半ほどで保存会の車両を大体見終わりました。 ちょうどお昼時かつ他のお客さんも不在だったので、日陰のベンチで一緒にお昼ご飯を食べるなどしてました。 とても気さくな方で、車両について、そして運営の苦労話など様々な事を教えて頂きました。 お話を聞けなかったら、この那珂川清流鉄道保存会の印象は大きく違っていたかなと思います。 おばさまに別れを告げ、コミュニティバスのバス停へ 烏山駅行きの列車は休日3本のみ。 約2時間滞在出来るので、公共交通機関でも何とか行けるかな? そんなこんなで、那珂川清流鉄道保存会の話題でした。 sakura.

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キハ8500系とは (キハハッセンゴヒャッケイとは) [単語記事]

キハ 8500

6t(キハ8501・キハ8502・キハ8503) 40. 9t(キハ8504) 40. (JR東海)へ直通する特急「北アルプス」に使用されていたの置き換え用として導入されたが、に「北アルプス」が廃止されたのちにに譲渡され、まで使用された。 その後は車両によって処遇が異なる。 本項では、会津鉄道への譲渡後についても記述する。 登場の経緯 [編集 ] 名鉄では、(昭和40年)から国鉄・JR東海の高山本線へ直通する列車を運行していた。 この列車は運行開始当時は準急「たかやま」として運行開始され、その後急行に格上げされ 、(昭和45年)には立山駅まで乗り入れ「北アルプス」に改称 、さらに(昭和51年)以降は特急に格上げされて運行されていた が、使用車両は1965年(昭和40年)以来が継続使用されていた。 しかし、登場当時こそ全車冷房車で評価の高かった キハ8000系も、を迎えると、特急車両としては接客設備・走行性能ともに当時の標準から大きく見劣りするものとなってきていた。 一方、JR東海が(平成元年)以降高山本線の特急「ひだ」にの導入を行い、1990年(平成2年)3月から特急「ひだ」は全てキハ85系で運用されるようになった ため、名鉄側も、JR東海に対し新型車両への置き換えを申し入れ 、車両仕様についての検討を行ったが、その検討過程において、でのの構成上は高速性能の向上が望ましく 、3. 名鉄にとって幸いだった のは、キハ85系がカミンズ製エンジンを採用していたことで、その後の協議が順調に進む大きな要因にもなったという。 このような経過を経て登場したのがキハ8500系である。 車両概説 [編集 ] 本節では、登場当時の仕様を基本として記述する。 キハ8500系は5両が製造された。 内訳は先頭車が4両・中間車が1両で 、全車両とも動力車である。 車両番号および各車両ごとの特徴については、を参照。 車体 [編集 ] 車体長20,800mm・車体幅2,740mmの全鋼製車体で、キハ8000系よりもわずかに拡大されている。 腐食が予想される扉周りの台枠や屋根には材を併用している。 側面窓はの意匠を受け継ぐ角のRが大きいもので、幅は1,700mm 、窓の高さは980mmとしている。 客用扉は幅800mm の2枚折戸とした。 床はエンジン音を遮断するために二重構造としており 、側面窓も同様の理由で複層ガラスとしている。 レール上面から床面までの高さは1,120mmである が、これはキハ85系よりも70mm高い。 このため、キハ8501とキハ8502の前面については下方向に70mm拡大しての床に段差を設けており、キハ85系との連結時にはここにスロープを取り付けることによって、スムーズな通行ができるようにした。 車体色はアイボリーホワイトを基調としてマスタードイエローとソフトイエローの直線を配し 、窓周りはダークブラウンとした。 内装 [編集 ] 客室内(会津鉄道に譲渡後) 客室内は「飛騨の大自然」というイメージを反映させるため、淡いベージュとブラウンで全体のイメージを統一した。 室内のは「より自然な室内照明」とする目的でによる間接照明とし、中央部に幅850mmで面照明システムを導入した。 通路の扉は飛騨の杉林をで表現し 、扉のガラスにも杉林をデザインした。 座席は2人がけをシートピッチ1,000mmで配置した。 座席のモケットはベージュ・グリーン・ブラウンのチェック模様とした。 窓のカーテンについては新素材として 、カーテンを閉じても窓の外の風景が見える「熱反射形スパッタミラーカーテン」を採用した。 ・洗面所は1000系「パノラマSuper」と共通設計のものを採用した ほか、客室内妻面に設けたLED式の案内表示装置も「パノラマSuper」と同じものである。 主要機器 [編集 ] ND-719形台車 は日本車輌製造のボルスタレス台車であるND-719形で 、キハ85系が装着するC-DT57形台車に準じた設計である。 車両一覧 [編集 ] 運用時は3両編成を基本とした。 キハ8501 豊橋側先頭車 Mc'1 で 、トイレ・洗面所を装備する。 キハ85系との併結に対応。 キハ8502 高山側先頭車 Mc'1 で 、構造はキハ8501と同一である。 キハ85系との併結に対応。 キハ8503 豊橋側先頭車 Mc1 で 、トイレ・洗面所を装備する。 主に増結用のためキハ85系との併結対策は未施工。 キハ8504 高山側先頭車 Mc2 で、車内販売準備室・自動販売機・公衆電話を装備。 主に増結用のためキハ85系との併結対策は未施工。 キハ8555 唯一の中間車 M で車内販売準備室・自動販売機・公衆電話を装備。 沿革 [編集 ] 名古屋鉄道時代 [編集 ] キハ8500系は須ヶ口駅近くの新川検車区に配置され 、1991年3月16日のダイヤ改正で営業運行を開始した。 このダイヤ改正からは、多客期にはJR東海の特急「ひだ」との連結も開始され 、から高山駅まではキハ85系と連結を行った。 なお、「北アルプス」と連結する「ひだ」は臨時列車として設定されており 、当初は「北アルプス」と「ひだ」の連結時には、上下列車とも先頭にキハ85系が連結されるようになっていた。 神宮前駅・新名古屋駅とも折り返し設備などがなく、かつ列車密度が高い区間であるため、運用時には神宮前駅の下り「北アルプス」発車時刻(午前11時37分)より2時間44分ほど前に出庫し 、まずのに回送 、給油後にに向けて回送され 、時間調整のうえで神宮前駅へ回送され、特急「北アルプス」として営業を開始していた。 上り列車も神宮前駅に到着後にいったん鳴海駅へ回送してから入庫していた。 また、同年5月からは、電車並みの高加速性能を生かして過密ダイヤの名鉄線内でも運用可能と判断され、平日には朝ラッシュ時と夜間の特急にもキハ8500系が運用されるようになった。 平日朝は甚目寺駅で給油した後に東岡崎駅へ回送され 、東岡崎駅を午前8時31分に発車する行きの全車指定席特急として運用された後に清掃と給水のために入庫し 、に回送された後に「北アルプス」の運用に入った。 上り「北アルプス」の神宮前到着後も大江駅に回送し 、金山駅を午後8時35分に発車する行きの全車指定席特急として運用された後にまで回送の後入庫した。 営業運転開始後から数年でJR東海にお荷物扱いされるようにもなり、存在意義が問われ始めた。 12月のダイヤ改正では連結する「ひだ」が定期列車に格上げとなり 、さらに10月からは名鉄自身のバス事業 において名古屋と高山を結ぶ()の運行を開始しており 、存在意義が薄れてしまった。 「北アルプス」の利用者自体も10年間で半減し、前記の高速バスが「北アルプス」の乗客を奪い 、さらには電鉄会社が気動車を保有する非効率さもあり、2001年9月30日限りで「北アルプス」の運行は廃止された。 会津鉄道時代 [編集 ] 折りしも、では現有車両の更新の時期を迎えており、観光列車としての設備を備えた車両の導入を検討していた。 また、会津鉄道は一般車両のうちお座敷車両への改造と事故廃車で2両を失っており、車両を補充する必要があった。 会津鉄道では「北アルプス」廃止によって運用を失った本系列に着目し譲渡を申し入れた 結果、5両全車両が会津鉄道に譲渡されることになった。 会津鉄道の列車はからまでは(JR東日本)へ乗り入れており、本系列がJR直通対応車両であることもメリットとして挙げられた。 名鉄側での売却整備が行われ 、同年12月22日から24日にかけて会津鉄道へされた。 会津鉄道での形式番号および外部塗装については、特急「北アルプス」に愛着を感じるファンを意識して名鉄時代のままとなった。 また、2両編成2本として組成した上で中間車1両は予備車となった。 を渡るキハ8500系 3月23日のダイヤ改正から「」として営業運行を開始した。 当初の運用列車は快速4本・普通列車2本であった。 10月からはJR東日本のまで乗り入れを開始 、3月からは東武用のATSを装備してを経由してまで乗り入れを開始した。 3月31日付で中間車のキハ8555は廃車となり 、となった。 このため、会津鉄道での標準型車両をベースとした新型車両へ置換えられることになった。 運用最終日の2010年5月30日は特別運用が設定され、会津若松駅を午後12時59分に発車する列車までが本系列の営業運転となった。 同列車の通常は鬼怒川温泉駅へ向かう列車であるが、会津田島駅到着後に隣設ホームに停車しているAT-700形・AT-750形と車両交換するという「新旧交代セレモニー」が行われた。 国内譲渡 [編集 ] 2010年12月に会津鉄道公式サイト上において売却先募集が行われた。 3月26・27日には会津田島駅構内でさよなら運転のイベントを開催する予定であったが、の影響で中止になった。 その後、キハ8501とキハ8504は那珂川清流鉄道保存会で保存された。 また、名古屋市在住の大学職員の男性がオークションにて2両を14,000,000円で落札購入した。 当初は愛知県内に輸送される予定であったが、東日本大震災による甚大な被害を受けた福島県に活気を呼び戻そうと男性の意向により福島県会津若松市の観光施設「やすらぎの郷 会津村」にて一般公開されることが決まり、2012年4月24日に同施設への輸送が完了した。 日本国外への譲渡 [編集 ] マレーシアのに譲渡され、エンジン復旧と車体改装の改修工事を行い、車体のカラーリングが変更された8500系 「やすらぎの郷 会津村」に展示されていた8502と8503が、マレーシアのに譲渡されることが決定し、8月半ばに会津からマレーシアに向けて、トレーラーに積載されて出発した。 同年9月にクアラルンプール港に到着。 キハ8502の修復から手掛け、2016年2月にエンジン復旧・車体改装の改修工事が完了し、同年3月に日本の専門家の最終点検も完了した。 カラーリングが青と水色、灰色の三色で塗り分けられている以外は名鉄時代から大きな改造箇所はない。 また、内装についてもLED表示が禁煙プレートに差し替えられている以外ではほとんど変化がない。 点検完了後は正式譲渡され、車番は「8502」を引き継いで塗装に明記されている。 2016年10月17日からは「Kelas Pertama」(マレー語でファーストクラスの意味)と呼称した急行として、1両をターンテーブル利用で1日1往復運行されている。 2017年中に2両での運行予定である。 脚注 [編集 ] [] 注釈 [編集 ]• 正確には、1985年(昭和60年)以降は1969年(昭和44年)製のキハ8200形のみ。 当時名鉄の傘下にあったでは、1982年に日本国内向け鉄道車両として初めてカミンズ製エンジンを搭載したを登場させていた(詳細はを参照)。 ただし、車内チャイムはキハ85系と連結することを考慮し、「パノラマカー」「パノラマSuper」のチャイムではなく、JR東海車と同一仕様とした。 また名鉄線内での特急運用時や会津鉄道譲渡後にも放送前に鳴らした。 実際の運行区間である神宮前駅と高山駅の間の場合は155. 0km。 実際の運行区間である神宮前駅と新鵜沼駅の間の場合は35. 9km。 1991年3月時点では、下りは「ひだ83号」 、上りは「ひだ88号」。 1999年12月時点で下りは「ひだ7号」 、上りは「ひだ18号」。 2004年10月1日よりとして分社化された。 発着の特急「」および発着のJR直通特急「」に接続する快速列車に使用された。 出典 [編集 ]• 「築港支線から旅立った名鉄キハ8500系」、『RAIL FAN』第49巻第2号、鉄道友の会、 2002年2月1日、 24頁。 日本語 プレスリリース , , 2014年3月13日閲覧。 日本語 プレスリリース , , 2014年3月13日閲覧。 2014年3月13日閲覧。 2012年4月25日付 中日新聞• 華盛交易有限会社. 2017年3月26日時点の [ リンク切れ]よりアーカイブ。 2017年3月26日閲覧。 斎藤幹雄、2017、「」、『』57巻(通巻671号(2017年3月号))、 p. 143 参考文献 [編集 ] 書籍 [編集 ]• 東京支部 『コロタン文庫46 私鉄特急全百科』 、 1979年。 『名鉄パノラマカー』 、 2008年(原著 2001年)。 9784533037276。 雑誌記事 [編集 ]• 清水武「名鉄8500系特急気動車」、『』第294号、鉄道ジャーナル社、1991年4月、 116-119頁。 三浦衛「列車追跡シリーズ354 飛騨路を駆けるハイパワー北アルプス」、『鉄道ジャーナル』第296号、鉄道ジャーナル社、1991年6月、 7-19頁。 東京工業大学鉄道研究部「2006年度 私鉄車両のうごき」、『鉄道ジャーナル』第493号、鉄道ジャーナル社、2007年11月、 134-136頁。 外山博朗「名鉄8500形特急気動車登場」、『』第360号、、1991年4月、 43-48頁。 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第297号、鉄道ジャーナル社、1991年7月、 106-114頁。 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第422号、鉄道ジャーナル社、2001年12月、 86-99頁。 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第423号、鉄道ジャーナル社、2002年1月、 98-111頁。 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第428号、鉄道ジャーナル社、2002年6月、 86-97頁。 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第524号、鉄道ジャーナル社、2010年6月、 142-151頁。 「RAILWAY TOPICS」、『鉄道ジャーナル』第526号、鉄道ジャーナル社、2010年8月、 142-151頁。 「他社で活躍する元名鉄の車両」、『』第771号、、2006年1月、 145頁。 関連項目 [編集 ] ウィキメディア・コモンズには、 と に関連するカテゴリがあります。 ・・(東武鉄道からの接続列車について)• (前身の「北アルプス」号について) 外部リンク [編集 ]• (会津鉄道公式サイト内)• (2014年現在、車両が動態保存されている).

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