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竜王町

地理 [ ] 県中西部、郡中部東端、西部に位置。 盆地を南流するの左岸に立地する縦長の町域。 北部は山麓に属する登美台地の南端(赤坂台地)で、南部は盆地底部のにあたる平坦地。 標高は最高が352. 6m、最低が264. 甲府盆地はおよそ200万年前の第四紀洪積世に入り江が後退してできあがった旧甲府湖が火山砕屑物によって埋め立てられて形成されたもので、町域を含む盆地底部はと呼ばれる地層が広がっている。 町域の北西端では南流する釜無川と東流する支流のが合流する地点にあたり、有史以来の氾濫を繰り返してきたため、南部平坦地ではの網状流により形成されたや後背湿地などの微地形などが広がる釜無川扇状地が形成されている。 県内では河川が山間部から平野部に流れ出て生じる山麓扇状地が各地で広がっているが、釜無川扇状地は溢水によるもので、勾配が緩やかである特徴がある。 釜無川にはによる治水が施されており、歴史的には堤防の位置する北西部を中心とした扇状にやが巡らされてが形成され、微地形を利用したやが広がっており、した現在でもその名残を見せる。 歴史 [ ] 赤坂台古墳群(中秣塚古墳) 町域では80カ所あまりの考古遺跡が確認されており、うち35カ所が先史時代の遺跡となっている。 遺跡は町域北部から隣接する双葉町南部の赤坂台地に集中して分布し、南部平坦地は釜無川の氾濫原であったため中世以前の集落遺跡は見つかっていない。 の遺物では赤坂ソフトパーク内遺跡から片が出土している。 の遺跡では、町域東部にあたる貢川右岸の自然堤防上に位置する沖田遺跡があり、縄文前期末から中期初頭の土器破片が出土している。 また、町域北部と隣接する旧双葉町域には集落遺跡もあり、中期以降には赤坂台地にも広がり縄文中期のや、縄文後期の遺物などが出土している。 の遺跡では隣接する旧敷島町域に同時代の代表的遺跡であるが立地しており、町域の沖田遺跡から弥生後期の甕破片が出土している。 の集落遺跡は見られないが、赤坂台地南東斜面に25基あまりのが築造されており、現在でも名にも「~塚」が多く見られる。 これらはと呼ばれる古墳時代後期にあたる前半から後半ので、大半は。 また、赤坂台地には同時期の狐塚古墳や両目塚古墳、大原北遺跡などが存在しており、古墳群を造営した集団の集落が存在していたと考えられている。 赤坂台地には・の遺跡も見られ、両目塚古墳からは7世紀末から8世紀初頭の高台付坏や9世紀前半の坏が出土している。 竜王2ツ塚3号墳からは10世紀代の土師器が出土しており、古墳を利用した追葬であるとも考えられている。 遺跡は開墾で原型を留めないものも多いが、(昭和51年)の建設では、竜王2号墳・3号墳の発掘が行われ、を受けた形跡のあるがあり、須恵器や土師器のほか製のが出土しており、県内では八代町の御崎古墳と並ぶ古墳時代末期のと位置付けられている。 また、(昭和63年)の調査では17箇所の古墳跡が確認された。 古代の下ではに属していたと考えられている。 平安時代に町域はのに含まれ、皇室領であった。 中世 [ ] 竜王河原宿 期には篠原荘が衰退する。 町域では釜無川氾濫の影響で中世村落の痕跡は少ないものの、篠原郷(八幡郷)や西八幡郷、西山郷、輿石郷、万才郷など期のも見られる。 戦国期には甲斐国内を統一した守護により釜無川の治水工事が行われ、の治水と平行してが築造される。 管理のためを免除された人々が定住し、 竜王河原宿が成立する。 竜王河原宿は西郡道や信州道へ通じる宿としての機能を果たした。 『』によれば、甲府市東光寺に所在したは奈良時代の年間にが竜王町域にあたる「篠原岡」の地に創建し、行基造像の国母稲積地蔵(上条稲積地蔵)が祀られていたという。 国母稲積地蔵はに関係する像で、『』によれば往古に甲府盆地は湖であったが、国母稲積地蔵の霊験により盆地南部が切り開かれ、湖水が富士川として流れたという。 この法城寺平安時代には(新羅三郎)により国母郷内の古上条村(甲府市)に移され、さらに戦国時代の永禄年間には武田信玄により甲府に移転され、『甲斐国志』の編纂された江戸後期には甲府市東光寺に存在したが、現在では廃寺となっている。 近世 [ ] 山県大弐銅像(山県神社) 近世には(元年)に実施されたで近世村落が成立し、町域では7か村が成立する。 全村がで、領を経て9年()の甲斐一国の直轄領化に伴い再び幕領化され幕末に至る。 町域の7か村は近世を通じて存在し、いずれも支配。 玉川村以外は北山筋に属し、玉川村はに含まれ支配であったが、幕末には7か村はすべて甲府代官支配となる。 近世には戦国期以来の治水事業と用水路整備の進捗で・流域など甲府盆地の河川流域において石高の増加が見られるが、検地帳からは町域にあたる釜無左岸地域の諸村においても石高増加が認められ、近世初頭には初期代官平岡氏による指導で富竹新田の開発が行われた。 宝永年間には指導で竜王・竜王新町、篠原、富竹新田の4か村を灌漑するが開削され、四ヶ村組合により用水の維持管理が行われた。 堰の開削によりが引かれてが行われ、富竹村の住民が移住して富竹新田が成立する。 は米麦栽培・畑作のほか、として木綿や()の栽培も行われている。 竜王煙草は甲斐における向け煙草の産地となった。 また、近世には、町域を甲府下河原から大下条村(敷島町)・竜王新町を経て竜地村(双葉町)へ至るをはじめ、徳行(甲府市)から万才・西八幡を経て西郡地域へ至るや、富竹新田経由で三社神社へ至る、島上条村(敷島町)から富竹新田・篠原・玉川の諸村を経て市川大門方面へ向かうなど諸筋が通過している。 整備されると宿機能は竜王新町へ移転する 近現代 [ ] 釜無川 上からを望む (5年)にはが導入され、各村は巨摩郡第4区に編入され、区長は竜王村から任命されている。 翌(明治6年)の再編成で山梨県第4区に合併、さらに(明治11年)には巨摩郡が分割されて中巨摩郡に編入され、竜王村にが設置されている。 明治5年にが布告されると山梨県でも県令・の主導と地元の献金で県内各地に学校が建設される。 町域でも同年10月に万才村の善応寺境内に万才学校が開設され、翌年には通学区域の拡大に伴い龍王村の慈照寺境内に竜王・竜王新町・富竹新田を学区とした竜王学校が開校した。 また、(明治7年)1月には西八幡村の成道院に八幡学校が開校する。 (明治20年)には竜王村・玉幡村で学校組合を組織しているが、教育委員にはのちに山梨英和女学校を設立するが着任している。 (明治36年)6月にはが開通し、同年12月にはが開設される。 の若尾家の支援を受けた開国橋の設置など道路網も整備され、地域の発展を促した。 明治期には海外貿易の発達に伴い山梨県でも養蚕・が発達し、町域でも養蚕が普及した。 一方で町域や西郡地域で盛んであった栽培は衰退し、木綿栽培の保護育成のため西八代郡市川大門村に設置された市川紡績所がの影響で破綻すると農村不況が顕著になり、没落した負債農民の増加はの発達を促し、大正・昭和期のの興隆にもつながった。 明治期の山梨県では県が主導したに伴う山林荒廃で水害被害の増加を招いたが、町域でも(明治29年)のでは釜無川堤防の決壊を引き起こし被害を及ぼした。 また、県内全域に多大な被害を及ぼしたでも被害が発生している。 期には県内各地や中巨摩郡内でもが発生しているが、(6年)には竜王村万歳の地主と農民組合へ結束した小作人との対立が激化した( 竜王村万歳争議)。 農業とを中心とする生業は近代でも保たれていたが、戦中には先として一時的に人口が増加する。 (昭和20年)7月6日 - 7日のでは死者はなかったものの、中新居、中八幡、下八幡などの地域でによる32戸が被害(『竜王町史』。 中の戦没者数は197人(山梨県福祉保険部国保援護課調べ)。 戦後の期には甲府市街地の拡大に伴いが進む。 (昭和46年)には甲府バイパスか開通する。 同年にはが適用されるとやが発達し、沿線地域を中心に農地から商業地域へと変貌する。 隣接する昭和町に新興工業団地が進出した影響も受け、中南部の水田地帯を中心に宅地化も進んだ。 沿革 [ ]• (31年) - ・が合併して発足。 (昭和33年) - 大字竜王新町の一部をに編入。 敷島町の一部(大下条・長塚の各一部)を編入。 (16年) - ・と合併して が発足。 同日竜王町廃止。 産業 [ ] 竜王町域の伝統的な産業は甲府盆地の典型的な形態で、米麦栽培とやを組み合わせたものである。 釜無左岸に立地し農業用水が確保されているため、田地が多いことが特徴となっている。 戦後の高度経済成長期には都市計画を伴わないまま急激な人口が増加したため、は大きな変貌を遂げている。 離農傾向にあるため農家人口が減少しており、農地は宅地や工業用地に転用されている。 昭和50年代には養蚕や畜産が大きく減少し、昭和60年代には米の生産も減少している。 戦後の山梨県農業で特徴的な栽培農家の増大も見られず、現在は甲府り隣接するとして野菜や米、いも類や種苗などの生産が主となっている。 特産には「」、「竜宝」がある。 工業では零細規模工場が多いが、県の企業誘致を背景に昭和50年代から町域にも製造工場の進出が進むが、平成初年にはの崩壊の影響を受けて停滞し、近年は県内工場の他地域や海外への移転などによる空洞化が進行しており、工場数は減少傾向で頭打ち状態にある。 文化財 [ ] 慈照寺山門 県指定有形文化財(建造物)• 法堂 (1965年(昭和40年)5月13日指定)• 慈照寺 (1958年(昭和33年)6月19日指定) 県指定有形文化財(書跡)• 慈照寺文書(1969年(昭和44年)11月20日指定)• 山県大弍自筆著書並墨書(1969年(昭和44年)11月20日指定)篠原の山県神社が所有。 発音略1巻、天経発蒙8巻、琴学発揮2巻、制作図式1巻、熱海浴泉歌1幅、寄厳仲説兄詩1幅、雪車詩1巻からなる。 保坂家文書5通(1969年(昭和44年)11月20日指定)竜王の信玄堤関係文書 県指定史跡• 中秣塚古墳(1996年(平成8年)11月7日指定)竜王新町から双葉町下今井にかかる赤坂台古墳郡に属する古墳 県指定天然記念物• 法久寺のコツブガヤ (1983年(昭和58年)12月26日指定) 篠原の法久寺境内にある 教育 [ ] 旧竜王町立図書館(画像は2014年) 竜王町は昭和40年代頃までは小学校2校、中学校1校の体制であったが、50年代以降には人口の増加に対応して次々と学校が新設され、現在では小学校6校、中学校3校になっている。 児童生徒数は1985年から1990年までをピークに、近年はに転じている。 小学校は明治初期に開校した竜王小学校と玉幡小学校を祖とし、昭和50年代から学区を分離し、6つの小学校が誕生した。 中学校は(昭和22年)に旧竜王中学校と旧玉幡中学校が誕生し、(昭和34年に統合されて竜王中学校が誕生。 昭和50年代末から平成初年には学区が分離されて玉幡中学校と竜王北中学校が開校し、3つの中学校が誕生した。 また、高等学校には(明治37年)に創立された県立農林高校があり、隣接して県警察学校がある。 専門学校では(平成3年)に赤坂ソフトパーク内に開校したがある。 町内の児童生徒の大半は町立の小中学校に通うが、甲府市に隣接していることから市内にある私立や国立の小中学校に通う例も見られる。 高等学校は農林高校のみであるため、町外の高校へ通う例が多い。 卒業後には町外や県外の学校へ進学し、竜王を離れる者も多くなる。 社会教育では施設として北部、中部、南部の3つの公民館があり、(平成8年)には竜王町立図書館が開館。 博物館施設は運営されていないが、山県神社内には大弐関係資料やなどを中心とした民俗資料館が設置されており、赤坂台総合公園管理棟内展示室には県内出土遺物などが展示されている。 小学校 [ ]• 竜王小学校• 竜王南小学校• 竜王西小学校• 竜王北小学校• 竜王東小学校• 玉幡小学校 中学校 [ ]• 竜王中学校• 玉幡中学校 交通 [ ].

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時計の反対回りに迂回して、東側の道からしか行けない。 四国八十八箇所霊場 第29番 国分寺 オウゴ古墳のある小道は、 四国八十八箇所霊場となっていて小さな祠が並ぶ。 オウゴ古墳は 一辺20mの方墳 高さは南側5m・北側2m。 南に開口する横穴式石室は全長10. 5m 玄室の長さ5. 7m・幅2. 14m・高さ3. 27m 羨道部長さ4. 8m・玄門幅1. 45m・左袖幅0. 65m・右袖幅0. 4m、高さ0. 9m 石室の構造は、近隣の、 天神山古墳群4号墳、5号墳、龍王寺北古墳群4号墳(いずれも竜王町) などの石室とほぼ同じ構造である 未調査なので、明確な築造年代は不明だか、 横穴式石室の構造から、 6世紀後半の築造と推定されている。 500m西にある岩屋古墳 6世紀中頃の前方後円墳 に続く時期に築造されたと考えられている。 竜王町。 妹背の里の北約200m、 龍王寺と天神社の間から雪野山の登山道に入ると、「龍王寺北古墳群」の説明板がある。 龍王寺北古墳群は、滋賀県指定史跡雪野寺跡 現在の龍王寺 の北側にある。 雪野山南西の山麓から山腹にかけてつくられた古墳群。 分布状況から3グループに分けられる。 龍王寺北古墳群 配置図 説明板の図に加筆 次に見学する天神山古墳群の 配置図もある。 古代寺院である雪野寺跡の東側につくられた天神山古墳群と同じく 日野川と古道の交差する交通の要衝近くにあることから、 天神山古墳群とは別のグループに属す集団が存在したと考えられている。 説明板から 説明板から、さらに進む。 9m・幅2. 12m・高さ2. 2m 羨道長5. 32m・幅1. 48m・高さ2m 玄門部の天井が一段低くなっている。 奥壁は鏡石の上に小型の石材を積んでいる。 発掘調査が行われて、出土した須恵器などから 6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。 龍王寺北古墳群への登山道の前。 分布図は龍王寺北古墳群の図を見てください。 天神山古墳群は、標高120〜150mの谷筋に立地している。 古墳の分布状況から、3グループに分けられている。 6世紀後半〜7世紀初頭の築造と推定されている。 95m・幅1. 86m・高さ3. 1m 羨道長6. 1m・幅1. 4m・高さ0. 9m 蒲生郡内でも唯一といわれるほどまれな 副室構造をとっており、 奥壁の向かって左脇に小石室が設けられている。 左側壁に設けられた副室は、玄室に対してややいびつになって、 斜め奥へ向かうような空間をとっている 奥壁は鏡岩というべき2石を左右に1段として配し、 さらに上方に大ぶりの石材を2段3段と重ねてすき間を小ぶりの石材で埋めている。 特徴としては、長方形プランをもち、 縦長のいわゆる箱形を呈した持ち送りの少ない玄室をもつが、 天井が高く、玄門部に見上げ石 2段目の天井石 のおかれた形式。 左側壁に副室を構え、羨道天井石に階段状段差がある特異なもの。 雪野山東麓の八幡社古墳群の前方後円墳のL字型の横穴式石室と 何らかのつながりがあるのか? 説明板から 墳丘 墳頂に露出した天井石 石室開口部 奥壁 左側に副室がある 二枚の巨石を横に並べ、副室につながる 副室 石室内部から入口を見る 4号墳隣りに5号墳。 95m・幅2. 14m・高さ3m 羨道長5. 3m・幅1. 64m・高さ1. 大きな工場の手前の細い道に入った突き当りがよどんだ池(広谷池?) その前に円い古墳。 鏡山から派生する丘陵上に位置しているというが、現在は周りが開発されているので、丘陵上とは思えない。 広谷池古墳実測図 (竜王町遺跡リーフレットより) 広谷池古墳は 全長12m・高さ3mの円墳(現状) 横穴式石室は 石室全長5. 6m 玄室長さ3. 2m・幅1. 4m・高さ3m 羨道部長さ2. 4m・幅1. 05m・高さ0. 7m 5世紀後半の築造と推定されている。 (周辺で見つかった遺物から) 広谷池古墳全景 道の向こうは、池。 右横(北)は町内のゴミ集積所の広場となる。 石室入口 奥壁側も開口している。 石室内部 石室内部 反対側から 石室内部は、2室に分かれているように見える。 以前はこの周辺に数基の古墳が分布する群集墳だったというが、現在は広谷池しか残っていない。 そこからほんの少し山に入ったところに、くずれかけた大きな石室。 三ッ山古墳は、墳丘の大部分が消失し、石室が露出している。 玄室の長さ5. 4m・幅1. 8m・高さ2. 1m 太刀の環頭が出土したといわれている。 三ッ山古墳群は (説明板より) 鏡山から派生する丘陵先端部に位置。 10数基から構成された古墳群だったが現在は1基しか残っていない。 三ッ山古墳全景 封土が流れ去り、大きな石室が露出している。 江戸時代に奥壁の一枚岩に不動明王を刻み、「岩屋不動」として信仰されている。 この日もお参りがあったらしく椅子が並べられていた。 不動岩屋古墳 建物の向こうに石室がある。 不動岩屋古墳石室 岩屋不動明王が祀られている。 不動岩屋古墳後円部 写真中央奥の石の下が石室 不動岩屋古墳前方部 滋賀県文化財学習シートには覆い屋がない明るい岩屋古墳石室が掲載されているが、 現在は覆い屋のために、暗くて、石積みもよく見えない写真しか撮れなくなってしまった。 不動岩屋古墳実測図(滋賀県文化財学習シートより) 不動岩屋古墳は 全長42mの前方後円墳。 後円部径25m・高さ5m 前方部先端幅20m・高さ6m 後円部より前方部のほうが高い。 段築・埴輪・葺石・周濠はなし 横穴式石室は 玄室長5. 4m・高さ2. 4m(復原3m) 奥壁幅1. 95m・玄門幅2. 5m 石室内に不動明王を祀る 6世紀の築造と推定されている。 大きくて山と区別がつかない。 雨宮古墳登り口 周提帯が残る。 雨宮古墳墳頂部 小さな祠がある。 雨宮古墳実測図(説明板より) 雨宮古墳は 竜王町の平野部に前方部を向けた 全長82mの帆立貝形古墳 後円部径67m高さ9m 前方部の長さ22m幅35m高さ1. 9m 外提と一重の周濠がある。 葺石あり。 滑石製の勾玉が出土 墳頂から 家形埴輪・円筒埴輪が出土 5世紀の中ごろの築造と考えられている。 y 竜王町 終わり へ.

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助成の対象となる治療• 一般不妊治療:医師が不妊症と診断し、その治療のための保険適用外の治療• 助成を受けることができる人 次の条件を全て満たしている人が対象となります。 申請日に法律上の結婚をしていて、夫婦またはどちらか一方が1年以上町内に住所がある人• 申請時に夫婦それぞれに町税の滞納がない人• 特定不妊治療費については、町の助成を申請する前にの助成を受けた人• 年度を越えた場合は補助の対象外となります。 交付回数 一夫婦について、一般不妊治療、特定不妊治療いずれも合わせて10回を限度 申請に必要なもの• 医療機関の発行している保険外診療の領収書の写し• 交付回数 一夫婦について、一般不妊治療、特定不妊治療いずれも合わせて10回を限度 申請に必要なもの• 医療機関の発行している保険外診療の領収書の写し• 住所と法律上の婚姻をしている夫婦であることを証明する書類 住民基本台帳等で確認できない場合のみ• 特定不妊治療費に対する助成については、この他に下記のものが必要となります。 「滋賀県不妊に悩む方への特定治療支援事業」受診証明書の写し 県様式2• 「滋賀県不妊に悩む方への特定治療支援事業」承認決定通知の写し 県様式3-1 不妊に関する相談窓口 不妊専門相談センター 滋賀医科大学付属病院内 TEL:077-548-9083 9:00~16:00 月~金曜日 祝日・年末年始を除く ・面接相談 要予約 毎週水曜日 祝日・年末年始を除く 15:00~ 東近江保健所 特定不妊治療に関すること TEL:0748-22-1300 0748-22-1309 直通 月~金曜日 祝日・年末年始を除く 8:30~17:15.

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