ユルゲン ハーバー マス。 楽天ブックス: 近代の哲学的ディスクルス(1)

ハーバーマスの理論

ユルゲン ハーバー マス

「ハーバーマス」とその思想とは? 「ハーバーマス」は現代ドイツを代表する社会・政治学者 ユルゲン・ハーバーマス(1929年~)は、現代ドイツを代表する社会哲学者、政治哲学者です。 多くの著書や社会的・政治的な発言も活発に行い、ドイツ思想界をけん引し、国際的にも高い評価を得ています。 ハーバーマスの思想は、哲学、政治学、歴史、社会学などにまたがる包括的な社会哲学である、公共性論やコミュニケーション論などで知られています。 「コミュニケーション理論」において近代社会の合理的な発達の仕方を論じた ハーバーマスは、人間の行為や生活様式が合理的であるということはどういう意味なのか、という問いを立てました。 近代社会の発達を合理的な見方から説明することを目指し、社会が発達する合理的なやり方を「目的合理性」と「コミュニケーション的合理性」の二つに区別しました。 「目的合理性」とは、成功しようとする志向のことで、「コミュニケーション的合理性」とは、相互理解への志向としてのコミュニケーション的行為のことをいいます。 ハーバーマスは、自己中心的な行為の合理性を重視する近代の社会システムの認識を覆し、「コミュニケーション的合理性」を新しい合理性として提起しました。 「コミュニケーション的合理性」に基づく行為を「コミュニケーション的行為」といいます。 コミュニケーション的行為とは、コミュニケーションを通じて共通理解を得ることや、行為者間の自由な承認を求める行為のことをいいます。 コミュニケーション的行為が行われるとき、発言の真理性や正当性が討論の中で吟味され、あるいは訂正されます。 人間はコミュニケーション行為によって社会的な相互関係を構築するようになり、より民主的で公共的な交流が可能になるとハーバーマスは主張しました。 コミュニケーション的行為の概念の前提には、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の思想がありました。 「討議倫理学」において正しい道徳規範について論じた ハーバーマス哲学の要に「討議倫理学」があります。 『道徳意識とコミュニケーション行為』(1983年)と『討議倫理』(1991年)において展開されています。 ハーバーマスは「討議倫理学」において、道徳規範をどのように確立するのか、道徳的立場とは何かを解明し、討議原理と道徳原理の二つの原理の存在を明らかにしました。 討議原義とは討議の規範の妥当性を表し、道徳原理は道徳規範の妥当性について、それが普遍化が可能であるかを検証する原理です。 ハーバーマスは、近代社会における正しい道徳規範は人々の対立を解決するものだと論じました。 ハンナ・アーレントの『人間の条件』に影響を受けた ハーバーマスの思想の基本的立場は、公共性の領域における市民の政治参加の可能性を追求し、民主主義の理念の実現を模索することでした。 こうした立場から、システムによって社会を管理しようとする社会科学への批判が展開され、コミュニケーションによる政治参加への関心が現れました。 公共性と政治参加の研究にあたり、ハンナ・アーレントの『人間の条件』(1958年)が彼に大きな影響を与えました。 『人間の条件』でアーレントは、古代ギリシャのポリスの政治的活動を論じ、ポリスにおいて市民たちが対等の立場で政治について議論したことを「公的領域」と呼びました。 ハーバーマスは、西欧の伝統として受け継がれてきた政治的な公共性の領域が、近代社会の到来とともに失われてきているとして問題を提起しました。 「ハーバーマス」は2004年に京都賞を受賞 ハーバーマスは、公益財団法人稲盛財団が運営する京都賞を2004年に受賞しています。 哲学、倫理学のみならず社会学や政治学の分野まで及ぶ影響の大きさとともに、現実の社会問題についても活発な発言や活動を続けたことが評価されました。 「ハーバーマス」の著書を紹介 ハーバーマスの著書は多数ありますが、その多くが日本語にも翻訳されています。 その中から、主著と近年の著書を紹介します。 『公共性の構造転換』1962年 ハーバーマス初期の著作で評価の高い『公共性の構造転換』では、公共性の問題を取り扱いました。 18世紀の市民社会では、自由な討論が行われ政治に参加することができたが、19世紀後半からの高度資本主義社会においては公共性の概念が再封建化され、統制された公共性へ変質したとする問題が提示されました。 この問題は『コミュニケーション的行為の理論』へと継承されました。 ハーバーマスは本書で注目され、ハイデルベルク大学の教授となり、その後フランクフルト大学教授となりました。 『コミュニケーション的行為の理論』1981年 ハーバーマスの主著である『コミュニケーション的行為の理論』は、社会科学のすべてを体系づけるとともに社会理論を総括するもので、研究の集大成として著わされました。 本書でハーバーマスは、「社会科学の基礎をコミュニケーション理論に置く」といっています。 本書において、ハーバーマスは、先に説明した「コミュニケーション的合理性」の概念を用いて近代社会を論じました。 『人間の将来とバイオエシックス』2001年 近年、遺伝子工学の進歩に伴って着床前診断や遺伝子治療の問題が論議されるようになり、ハーバーマスは2001年に本書を通じて議論に参加しました。 医療倫理や生命倫理に哲学はどのように介入すべきかを、彼の社会倫理や文化理論に基づいて考察しています。 日本でも議論されている生命倫理や人間の尊厳の考え方について、哲学の立場の考え方として参考にしたい書です。

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「ハーバーマス」の思想「コミュニケーション論」や著書を紹介!

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この連載では、田中拓道『貧困と共和国』を手掛かりに、連帯の哲学について考えてゆく。 しばらく読んでない『公共性の構造転換』だが、の「社会」の議論を含めて、まだ刺激的な書物である。 -市民的な公共性の成立。 こうした公共性は一九世紀において公共性の概念が変容したことによって生まれた。 それまでの「社団国家」が崩壊し、「統治権力の批判的吟味と正統化を担う〈市民的公共圏〉が、国家と社会、公的領域と私的領域の分離を前提として成立した」 p. -私的経済圏の成立。 すでに一八世紀から、「家政の枠組みを商品交換によって形成された私的経済圏は、クラブや新聞を通じて、力に対抗するもうひとつの〈公共圏〉としての意味を帯びていく。 -公論の形成。 「一八世紀末には、市民社会における民衆の自由な討議によって形成される「公論」が、力の正統化を担う唯一の審級とみなされるようになる」 p. -社会の形成。 一九世紀半ばから産業資本が進展し、階級的な利害対立が政治的対立に点かすると、公的領域と私的領域の区別が崩れ、その中間に社会的な領域が登場してくる。 は、この領域が「再政治化された社会圏であって、これを〈公的〉とか、〈私的〉とかいう区別の見地のみからとらえることは、もはやできなくなっている」(前掲書一九八ページ)と指摘する。 -親密圏の形成 このようにして社会が登場し、この場は政治的な意味をもつが、これにたいして指摘な領域として、ルソーが最初に思想化した「親密圏」が、公共性とのつながりを断絶する形で形成されるようになる。 田中は公共性の変容と「社会の誕生」の時期をのように一九世紀後半の産業資本の展開にではなく、期における「社会問題」認識の成立にみている p. これは本書の中心的なテーマであり、ドンズロなどフランスの者たちの共通意見でもあるが、それでも「社会の誕生」を、資本主義と市民社会の成立と国家との関係から考察するやの議論の普遍性にひかれるのもたしかである。 なお、下記ののレジュメは役立つ。 きちんとしたレジュメは妙な論文よりも有益であることが多いのである。 が公的なものであり、国家ではないものが私的なものとの観念が成立した。 国家において、、の分化が進み、それらが公的なものとなり、王侯の私的家産と公的予算は分離していたためにやの背景となった。 つまり公私の相違は国家と社会の境界性にあったのであり、は公共性の起源を私的領域にあると考えている。 後にが 出現すると、社会的地位に関係ない社交性や民衆による討議、万人が討論に参加することの可能性などに特徴付けられる市民的公共性がもたらされた。 市民的公 共性では論証以外のあらゆる権威を認めなかった。 参加者は相互に論証による説得を受け入れることで、さまざまな問題を争点化することができた。 しかし市民 的公共性はその矛盾として社会階級の利害が討議の前提となっており、だった。 無産階級とのを経ながらも、公共性は階級的疎外を縮小させるを 発展させた。 そして無産者が公衆として討論に参加できるようになれば、無産者大衆にも公共性は開かれたものとなったためにそれが反映されるようになった。 19世紀の中ごろになると、公共性は無産者にも開かれたために国家の社会への積極的介入が要請されるようになった。 しかしこれは市民的公共性にとって新た な問題を引き起こすことに繋がった。 崩壊する公共性 19世紀までは国家と社会は分離していたために市民的公共性は国家から自律していた。 だが19世紀にと労働者が組織され、またの下方拡大が実現されると、多くの労働者の代表が議員となる。 労働者政党はからの解放を掲げ、の確立を目的とする政策実現を進めたために、20世紀には、法によりを実現した。 これは市民的公共性に大きな変化をもたらすことになり、人びとは行政サービスの受益者となったために批判的理性を以って政府に主体的に向き合うことができなくなった。 公共性への参加の自由は受益と消費の自由に変容してしまったのである。 政治過程では大衆に対して社会集団、政党、行政機構、報道機関が働きかけており、本来の公共的論議よりも、大衆の感情や利益に働きかけることによっ て民主政治での多数派の支持を得ることが可能となる。 そうなればは公共性の本質である議会の機能も喪失し、議会は討論ではなく利害調整の場に なると指摘する。 市民的公共性においては議員は国民全体を代表するものとされていたが、大衆デモクラシーの下では政党の支持母体に命令される対象となる。 議会の討論は論理的な説得ではなくに向けた示威や印象を与えるための劇場となる。 の拡大は結果的に批判的な審議能力の低下をもたらしたのであ る。 公共性の再生 は公共性の再生を模索しており、の成立の公共性の傾向を示している。 それは企業や、 官僚などの集団間にみられる構造的利害対立や、官僚的決定の操作的な広報活動である。 しかし理性的な市民的公共性を持続させるかぎりは政治的に機 能する公共性が必要である。 そこでは諸集団の均衡とまたその組織の内部において公共性を確立することを提案している。 つまり諸集団を通じた公 共的な意志疎通と批判に参加させることを目指したのである。 1989年のを経た後にはは自発的なにも可能性を見出している。 econ. hokudai. ・講義「経済思想」. 第一章 序論 市民的公共性の一類型の序論的区画. ・ ほんらいの世論の機能であった公開性は、いまや世論の注目を引きつけるもの、「広報. とポスト・ 的 公共論 - の公共性・公共の影響が強かった。 年代後半以降の住民・ における 公共性. 論のみならず,近年の市民社会論の見直しやメ. ディア論の隆盛の中 での公共など,時代や. 文脈は相違するものの,いずれも. の論が 積極的に 「行政国家」から考える公共性論 - 成果管理システム• mitizane. chiba-u. pdf 本稿の課題は、 の『公共性の構造転換』における課題である社 会国家 Sozialstaat にどう対処すべきかという問題を共有しつつも、いまひと. つ別の分析視角 として「行政国家」を加えることによって、より深い問題認識. が可能となることを示すこと に... 熟議民主主義と「 公共圏」 www. kiss. u-tokyo. pdf たった熱言義民主主義論に焦点を置しゝて検討 して. いくことにする川。 ーー・熟議民主 主義論における 「市民社会」. 「公共」 概念. 公共圏 概念の意義を再提起した ハーバ』 マス. による 『 公共性の構造転換』 第二版の序文や、. 公共性理論についての論考 - 大学院教育学研究科・ www.. tohoku. pdf 公共性理論についての論考. 本稿で論考する 人の思想家は、ハンナ・ 、ユルゲン・. 、 ジョン・ 、 である。 共性理論(表)は、これらの思想家の 代表... ambos.

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ユルゲン・ハーバーマスの意識哲学からコミュニケーション論への転回 マックス・ホルクハイマーやをドイツ・フランクフルト学派の第一世代とすると、 ユルゲン・ハーバーマス Jurgen Habermas, 1929- は第二世代を代表する思想家である。 ユルゲン・ハーバーマスはユダヤ人の多い学者サークルであったフランクフルト学派の中では数少ないドイツ人であり、第二次世界大戦の時にはナチス政権下でヒトラー・ユーゲントに所属したという履歴を持っている。 1956年にテオドール・アドルノの助手として採用されフランクフルト学派(社会研究所)の思想家の一員となるが、階級闘争的な共産主義革命に肯定的だったハーバーマスは、所長のホルクハイマーと政治思想の実践的側面において対立することが多かった。 ハーバーマスはフランクフルト大学の教授職に就任することを希望していたが、ホルクハイマーとの政治思想的な軋轢があったので、1959年に社会研究所を離れることになった。 1961年にハイデルベルク大学の哲学の教授となって研究者生活を送っていたが、1964年にホルクハイマーがフランクフルト大学を退官すると、ハーバーマスはフランクフルト大学に戻って哲学・社会科学の教授職に就いた。 現代思想における最後の巨人とも言われるハーバーマスは論争好きなことでも知られ、博士号取得以前の学生時代にもフランクフルター・アルゲマイネ新聞に『ハイデガーと共にハイデガーに反対して考える』という論文を寄稿してハイデガーとの論争を引き起こした。 それ以降にも、ジャック・デリダやジャン=フランソワ・リオタール、ジョン・ロールズ、二クラス・ルーマンといった著名な思想家たちと意見を激しく戦わせて論争を展開した。 フランクフルト学派の第二世代を代表するユルゲン・ハーバーマスの思想の特徴は、第一世代のホルクハイマーとアドルノが指摘した『批判理論』による道具的理性の批判をコミュニケーション論へと昇華させたところにある。 ホルクハイマーとアドルノは西欧近代哲学(啓蒙思想・市民社会)の伝統を支えた理性主義(主観優位の思想)が、自己保存を目的とする他者支配のための道具主義に堕落したことで、第二次世界大戦やアウシュヴィッツ(ホロコースト)といった野蛮な暴力的事象が発生したと考えた。 フランクフルト学派の第一世代は 『近代的理性と政治的実践の不信(拒絶)』という特徴を持っているが、第二世代のユルゲン・ハーバーマスは第一世代の極端過ぎる理性批判を否定して、間主観的なコミュニケーションを可能とする 『コミュニケーション的理性』の復権を企図したのである。 ハーバーマスは、第一世代のフランクフルト学派やG. ハーバーマスは『外的なモノ』ではなく『対等な他者(ヒト)』とコミュニケイトすることに近代哲学を克服する可能性を見出し、 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 1889-1951 の言語哲学の言語ゲームを参照しながら、相互主観的なコミュニケーションの重要性を強調していく。 ハーバーマスやウィトゲンシュタインが想定した相互主観的(間主観的)なコミュニケーション行為とは、エドムンド・フッサールの現象学(超越論的主観性)のような 『観念的・想像的・モノローグ的な相互主観性』のことではない。 ハーバーマスの言う相互主観的なコミュニケーションとは、実際に生きていて言語的コミュニケーションができる『複数の主体』が相互に意見や感情を表現することであり、その表現を他者(聞き手)が 『了解』することで 『合意としての真理』が非暴力的に形成できるとするものである。 ユルゲン・ハーバーマスは、フッサールやハイデガーの意識哲学・存在論に見られるような『生きている他者の主張(反論)』を無視した『独我論的・モノローグ的な思想展開(一般的な結論や規則の提示)』に強く反対し、実際に相手とコミュニケイトして『了解』を得るというプロセスを重視する(モノローグの観念論ではない)相互主観的なコミュニケーション論を提起したのである。 ハーバーマスのコミュニケーション論と公共圏 フランクフルト学派の第二世代を代表するユルゲン・ハーバーマスは、第一世代の思想を言語論的に転回して、言語的なコミュニケーションによる 『道具的理性・全体主義(ファシズム)からの離脱』を構想した。 ハーバーマス以前に近代哲学の完成者と呼ばれる G. ヘーゲル 1770-1831 が人間の行為を 『労働』と 『相互行為』に分けていた。 ヘーゲルは、身体を使った目的合理的な生産行為を 『労働』、言語を使った意思疎通的な関係行為を 『相互行為』としたが、相互行為(コミュニケーション)よりも労働のほうを絶対精神(国家・民族の意識)の自己展開に欠かせない重要な要素と見なしていた。 商品や道具、設備、原材料といった『生産手段・成果物』を生み出さない相互行為(コミュニケーション)は、西欧哲学(啓蒙思想)の中で軽視されがちであったが、特に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが構築したマルクス主義(共産主義思想)では相互行為(言語的コミュニケーション)よりも労働(身体的な生産行為)が重視された。 しかし、 ユルゲン・ハーバーマスは共産主義革命が成功したソ連や東欧のような共産主義国家(社会主義国家)において、 『国家権力・支配階層による人民の隷属的な支配』が終わるわけではない過酷な現実を冷静に観察し、近代市民社会が奨励する『労働(生産行為)』だけでは人間は決して自由・幸福にはなれないという世界観を持つに至る。 ハーバーマスは 『労働』は物理的な飢餓と貧困から人民を解放するが、 『相互行為(コミュニケーション)』は政治的な隷属と支配から人民を解放する唯一の手段であると考えるようになる。 モノローグ的な意識哲学を脱却したハーバーマスは、一人で内省的に論理を巡らして結果を出すのではなく、複数の主体(他者)の間でコミュニケーションを重ねて相互主観的な了解を志向することこそが大切であることに気づくのである。 その結果、ウィトゲンシュタインの言語ゲームにおける複数の他者(主体)の間でのみ成立する 『規則(言語規則・社会規則)』に着目するようになる。 ハーバーマスのコミュニケーション論は、『了解』を志向する言語ゲームを実施する『複数の主体』と『ダイアログ(対話)の機会』によって成り立っているが、ハーバーマスの意識哲学からコミュニケーション論への転回のことを 『言語論的転回・相互主観的転回』と呼ぶこともある。 『合意・了解による真理』への接近はどのようにして保証されるのかということについて、ハーバーマスはコミュニケーション的理性による3つの規範条件(形式的妥当性)を考えた。 コミュニケーションにおける不一致や対立(相互理解の困難)のことを 『ディスコミュニケーション』というが、ディスコミュニケーションは 『真理性・規範適合性・誠実性』という3つの規範条件によって解決の道筋が探られることになる。 コミュニケーション的理性は、 客観的世界においては発言が事実か否かという 『真理性』を妥当性(規範条件)として要請するが、 社会的世界においては言動が社会規範に合致しているかという 『規範妥当性』が要請され、 主観的世界においては発言が虚偽ではなく真摯な態度で話しているかという 『誠実性』を要請するのである。 この3つの妥当性が満たされている時には、理想的コミュニケーションが成立するだけではなく、『強制のない合意』が成り立つ可能性が高くなる。 ハーバーマスは、言語的な相互行為を 『コミュニケーション的行為』と 『戦略的行為』に分類したが、コミュニケーション的行為とは複数の発話主体が相互に了解を志向する『一般的な会話』のようなコミュニケーション形態のことである。 戦略的行為とは、他者を道具・手段として目的合理的に利用する『政治・行政・経済の分野』における相互行為(法律・命令・取引)のことである。 戦略的行為は、必ずしも相手の了解を志向せず、相手を自分の言語的行為に従わせて目的を合理的に達成しようとするコミュニケーション形態である。 ハーバーマスは、コミュニケーション的行為によって 『解放的な民主化』の社会進化のプロセスが進み、戦略的行為によって 『効率的な目的的処理』の社会進化のプロセスが進むと考えた。 『生活世界(自由の王国)』の行為領域において『解放的な民主化』が進められ、 『システム(必然の王国)』の行為領域において『効率的な目的的処理』のプロセスが進んでいくが、ハーバーマスはどちらも社会進化のために必要な合理的プロセスであると定義している。 ディスコミュニケーション(コミュニケーションの失敗や困難)を解決するための了解を目指す相互主観的なコミュニケーションのことを 『討議・議論(ディスカッション)』と呼ぶ。 マルクス主義の革命思想では、経済的搾取と政治的支配によって人間性が抑圧された『必然の王国』から自然な人間性が解放された『自由の王国』への史的唯物論的な発展を成し遂げようとしたが、この試みは共産主義政権が 『集権的な労働力の配置・資源の再分配(官僚主義的な計画経済)』のみを重視して 『主体的なコミュニケーション的行為(民主的な意志決定プロセス)』を軽視していたために挫折したとハーバーマスは考える。 『生活世界』では 『言語』というコミュニケーション・メディアによって解放的な民主化が進行していき、具体的には家族・友人関係・地域共同体・NGO・NPOなどが生活世界の行為領域に属している。 『システム』では 『貨幣』や 『権力』というコントロール・メディアによって効率的な目的的処理(効率的な個人の支配と資源の分配)が進められ、具体的には政府・行政機関・司法機関・市場経済・企業などがシステムの行為領域に属していることになる。 目的合理性や経済効率性などの原理によって作動する『システム』は絶えず、道徳的なコミュニケーション的合理性の原理によって運営される『生活世界』を侵食しようとしているが、他者(個人)を抑圧・支配するシステムがコミュニケーションを重視する生活世界を脅かすと、各領域に病理現象が発生してくることになる。 『システム(政治経済的な強制力)』による 『生活世界(道徳性・コミュニケーション的理性)』の破壊によって、 『社会領域におけるアノミー(無規範状態)・文化思想領域における虚無主義・精神衛生領域における精神疾患』などの病理性が現れてくる危険があるとハーバーマスは語る。 ハーバーマスは、資本家と労働者が対立する『マルクス主義的な階級闘争』ではなく、『生活世界の合理化とシステムの合理化のコンフリクト(摩擦)』によって上記した社会病理が発現すると考える。 システム(必然の王国)による生活世界(自由の王国)の支配に抵抗するためには、 『公共圏』での了解を志向するコミュニケーションと討議による 『民主的な意志の集約』が必要になってくる。 『コミュニケーション的行為の理論 1981 』と 『公共性の構造転換 1962 』などで提示されている 『公共圏』の概念はハーバーマスの思想に一貫する中心的概念であり、『公共圏』とは了解を志向するコミュニケーションが成立する相互主観的な社会空間のことである。 公共圏は、多種多様な意見を集約する討議(ディスカッション)のアリーナ(闘技場)とそれらの意見の個別的なネットワークによって構成される社会空間である。 公共圏は『個人間のローカル・コミュニケーション(部分的なコミュニケーション)』をマスメディア(テレビ・ラジオ・新聞・書籍)やインターネットを利用して、幅広く公開することでより一般的で広範な公共圏へと発達していく。 多数の個人(市民)が参加する一般化された公共圏では、各テーマ・各問題に対する多種多様な意見が提示され『討議のプロセス』を経ることで、より有意義で説得力のある意見へと集約されていくのである。 ハーバーマスは公共圏における討議を経て集約された意見が、政治的・経済的構造(制度)を変化させる 『民主的な意志決定』につながることを期待したが、高度資本主義によって運営される現代の先進国では、 『福祉国家化・消費文明社会・マスメディアの広告事業化・政治のエンターテイメント化』によって公共圏が政治的・経済的な批判機能を喪失してしまったという問題が指摘される。 ハーバーマスの『公共性の構造転換』は、公共圏の批判機能(討議機能)の喪失を主要テーマにした論文である。 市民的公共圏やマスメディアが、再び 『消費の享楽(思考停止)』を乗り越えて 『公論(公共的な意見の集約)』を取り戻すためにどうすれば良いのかがハーバーマス思想の行き着く問題点である。 『生活世界(コミュニケーション的合理性)』を侵食する『システム(国家行政・資本主義経済)』を間接的に統御する 『市民社会の再建(非経済的・非国家的な個人相互の主体的なネットワーク化)』が大きな課題となっている。

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