この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば。 この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば 藤原道長 千年の時

この世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば 読み:このよをば わがよとぞおもう もちづきの かけたることも なしとおもえば 作者: 藤原道長 966年~1028年 歌の意味 この世は私のためにある世界だと思う。 この満月のように欠けたところは何一つなく、すべて自分の意のままに満足すべきものである 藤原道長の和歌の成り立ち この和歌は、面白いことに、和歌集などに、優れた歌として記録されていたものではないのです。 しかも、道長自身が記録していたのでもなく、藤原実資(ふじわら の さねすけ)という藤原氏の一人が、日記『小右記』に書き残しており、それだから、今の世にまで伝わっているというのです。 この歌が、寛仁2(1018)年10月16日、その夜に詠まれたということが、きちんと記されているのです。 祝宴で道長が詠んだ和歌 その際のエピソードとは、次のようなものです。 後一条天皇が11歳になった時、道長は三女の威子を女御として入内させました。 女御(にょうご)というのは、いわゆる正妻ではない立場であったわけですが、それが、10月には中宮、つまり天皇の妻となったのです。 おめでたいことなので、藤原一族の祝宴が開かれました。 その場で、道長が自ら即興で、この歌を詠み、実資に向かってこの歌を投げかけました。 そのような際は実資がその場で返歌を詠むというのが習わしでしたが、実資は丁重に返歌を断り、代わりに一同が和してこの「名歌」を詠ずることを提案。 祝宴に出席をしていた公卿一同が、この歌を繰り返し何度も詠った、とされています。 道長自身も自分の日記を書いていたようですが、この歌自体は書き留められていませんで、おそらく、和歌そのものが上手に詠めたかどうかよりも、自身の権力が増大したということの方が大切であり、歌そのものには、さほど関心がなかったのかもしれません。 千年前の今日とは? この歌が詠まれたのが、千年前の11月23日ということなのですが、調べてみると、明石市立天文科学館の井上毅(たけし)館長がこの日は確かに満月であったとのこと。 旧暦10月16日は、今年の11月23日ということなので、それが今日のこの日に当たるのですね。 きっかり1千年の時をへだてて、満月を詠んだ道長のことが、月を介してまた人々の胸に思い出されるのです。 実在する古(いにしえ)の人 短歌を見ると、本当にこのような古い時代にも生きている人がいて、また、詩歌を楽しむということを知っていたということが不思議に思われます。 短歌は、彼らが本当に生きていたということの証でもあるのですね。 そして、そんなにも長い間、月は変わらずその満ち欠けの姿を私たちに示し続けてもいるのです。 昔の人は、なぜこのような自然のものを歌に詠んだのでしょうか。 道長は千年の時を経て、満月が私たちに彼の歌を思い出させていることを考えてみたことがあったのでしょうか。 短歌と月と昔の人と今の世の私たち--この不思議なめぐりあわせを浮かび上がらせるかのように、今夜も月が照っています。 藤原道長[966~1028] 平安中期の公卿。 兼家の五男。 娘を次々と后に立て、外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華をきわめた。 晩年に出家し、法成寺を造営。 関白になった事実はないが御堂関白 みどうかんぱく と称された。 日記「御堂関白記」がある。 短歌の本がアマゾンで無料で読める アマゾンのkindle unlimited キンドルアンリミテッド)では、短歌関連の本が多く無料で読めます。 アマゾンで無料の本を読むには アマゾンには「Kindle Unlimited」(キンドル アンリミテッド)という、和書12万冊以上、洋書120万冊以上のKindle電子書籍が 読み放題になるサービスがあります。 利用料は 月額980円なので、1か月に1~2冊以上読めば、まず元は取れます。 また、初月は 30日間無料です。 申し込み後1ヵ月間は無料です。 使わなければ、その間に停止の手続きをすれば無料のままですので、ぜひお楽しみください。 詳しい内容は下から。

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望月 もちづき 満月の別名 意味・由来・語源

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

藤原道長の有名な句ですが、小学生の頃に日本史で初めて習った記憶があります。 恐らく誰しもが 「己の権力の絶頂に慢心し、その傲慢さを表す句」といったニュアンスで習ったのではないでしょうか。 この句を読んだ後の道長は、持病の悪化や子供たちの早逝という不幸の後に出家し、10年後の62歳にて亡くなったそうです。 その一連の流れをして、「驕る平家は久しからず」といった類の意味で、道長の栄華の絶頂とそこからの転落といった歴史エピソードとしての解釈が一般的だと思います。 しかし、果たしてこれは 本当に傲慢や増長した句なのでしょうか。 詩歌はその短い言葉のうちに、幾層にも意味を重ね合わせた所が魅力の一つです。 字面通りではなく、少し踏み込んでみれば違った解釈が見えてくるような気がします。 ただし、僕自身は ・詩歌の素養は皆無である事 ・同様に歴史にも全く知識がなく、道長の人物像について全く知らない事 は申し添えておきます。 確かにそのまま解釈すれば、「この世界はまるで俺のもののようだ」と聞こえてきます。 しかし、この 欠けゆく望月の解釈を踏まえれば、違って見えるのではないでしょうか。 つまり、 この世界もまるでこれから欠けゆく自分の人生のようだ、と詠んだとも解釈できるわけです。 漠然とした合意として、 過去から未来へと、僕らの文明や人間性は進歩してきているのだ、という意識があるのではないでしょうか。 しかし 道長の生きていた時間と、それ以降の 我々の生きる時間、どちらがより満月に近いのかは誰にもわからないと思います。 僕らにとっては 「産業革命以降の機械文明の無い生活など考えられない」と言います。 しかし、あるいは彼らからすれば現代こそ 「なんて末世、末法な世の中であろうか」と、嘆くかもしれません。 我々から失われたもの、欠けた望月たる僕らの世界。 そんな未来の予感を詠んだ句に見えては来ないでしょうか。 本人に確認しない限り、この正解はわからないとは思います。 しかしこのように、一般的に皆がそうであると思っている事も、角度を変えて眺めたり、一歩踏み込めば、違ったものが見えてくるのではないでしょうか。 そういった 「みんなそう思ってるけど、違った解釈もありうるのではないか」なんて思ったことを書き綴っていきたいと思います。 そして、当ブログはそれにあやかって、タイトルに拝借しました。 藤原道長が特別好きだとか、思い入れがあるわけではないです.

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【この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

・「小右記」の藤原道長像 この「この世をば」の歌はいったいどうやって今に伝わったのでしょうか。 実はこの歌は、道長自身が何かに大事に書き留めていたというわけではありません。 道長がこの歌を詠んだとされる場に同席していたという貴族の日記「」に、道長の歌としてたまたま書き残されていたことで、現代にまで伝わった歌なのです。 道長の娘である威子が後一条天皇の后となり、道長の三人の娘が后となったその夜(寛仁 2 年 10 月 16 日)の出来事です。 太閤道長様が、私(実資)を呼んで云ったことは、 「私は歌を詠みたい。 必ずあなたもそれに応じて返歌を作ってくれ。 」 (私は)「どうして応じ申し上げないことがあるでしょうか。 」(と答えた。 ) また道長様は云った。 「自慢の歌だ。 ただしこれは即興だ。 「道長様の歌は優美です。 返歌に応じようがありません。 代わりにみんなでこの歌を声に出して歌いましょう」 この記事を書いた藤原実資は「十訓抄・六ノ三十四」に「小野宮右大臣とて世には賢人右府と申す」と書かれているように、賢人として知られた人です。 この「小右記」には、しばしば道長に対しての批判的な記事も書かれています。 そんなこともあって、この寛仁 2 年 10 月 16 日の記述も「あまりに奢っている道長に実資は呆れてしまった」という文脈で読まれがちですが、少なくともこの部分に限っては、そこまではっきりと「奢っている道長への批判」という感じは出ていないように思われます。 ・「御堂関白記」の 藤原道長 像 実はこの日の出来事自体は、この歌を詠んだとされる道長自身の日記にも書き記されています。 それでは道長自身の日記である「」の同じ日の記述を見てみましょう。 例の歌についての記述は、あっさりしたもので、 「余、和歌を読む。 人々、之を詠ず。 (私は和歌を詠んだ。 人々はこれを声に出して歌った。 ) と書いてあるだけで、これだけではどんな歌だったのか、全くわかりません。 その他大部分は儀式の進行や、備品の設置などについての記述で占められています。 「 奢っている人」というよりは、「 ひたむきに仕事をしている人」の日記という印象を受けます。 当時の貴族の日記は備忘録的な側面が強いものでした。 記述内容の大半が儀式運営のことで占められているということから、道長自身は自分の詠んだ「この世をば」の歌の内容にはあまり執着がなかったのではないかと思われます。 もしかしたら道長本人としては、たまたま宴会的ノリにまかせて即興で披露した「その場限りの盛り上げソング」に過ぎない作品が、代表作のようになってしまったということなのかもしれません。 ちなみにこの「御堂関白記」は、 世界最古の自筆日記として、ユネスコの世界記憶遺産にも登録されていて、 web 上では、 で、書き下し文を読むことができます。 興味のある方は是非、ご自分でも目を通してみて欲しいです。 御堂関白記 を読んで気がつくのは、まずは当時の貴族の習慣「 物忌み(占いや暦が凶である時に、外出や人との対面を避けること)」などの記事が多く見られることです。 道長も普通の平安貴族らしく、ある意味つつましい生活送っていました。 決して「神も仏も恐れない」というようなキャラではありません。 また、漢籍や仏典などの書物の貸し借りを盛んにしており、意外と勉強家な側面もわかります。 そして、人事や儀式などの記事が大変に多く、とても忙しそうです。 日々まじめに働いていることがわかります。 勤勉な政治家かつ官僚としての道長の顔も浮かび上がります。 さらに、作文(漢詩)の会や、宴会の記事なども見られ、今なら余暇的なカテゴリーに入るような方面においても、活動的であったことが伺われます。 一方で、時々、自身の体調不良の記事があるのも気になります。 医学の発達していない時代ですから、健康を維持するのも大変だったろうと思います。 「この世をば〜」の年(寛仁 2 年)にも、何度も体調不良についての記事がありますので、「欠けたることもなし」といいながら、少なくとも体調的にはだいぶ欠けているところがあったように見えます。 ともかくも、「御堂関白記」を実際に読んでみると、「欠けたることも無し」と豪語する驕り高ぶった権力者 というイメージとは違った、道長像が浮かび上がります。 では、さらに別の文献で、道長がどのようなキャラクターとして描かれているか、見てみましょう。 カテゴリー• 118• 368• 358• 1,429• 150• 815• 593• 172• 100• 179• 144• 135• 109• 567•

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