足利銀行 ログイン。 足利銀行の渉外・融資支援システムを構築し2020年1月にリリース|フューチャー株式会社のプレスリリース

足利銀行の渉外・融資支援システムを構築し2020年1月にリリース|フューチャー株式会社のプレスリリース

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)は、傘下のに本店を置く地方銀行。 「あしぎん」ので親しまれている。 2016年10月1日に親会社である(現:)がとを実施し、傘下で同行と経営統合した。 現在のは「ありがとうを チカラに変えて」である。 概要 地域一帯に98の本支店と49の出張所があり、本拠地の栃木県内の貸出金シェアは約5割に達し、栃木県と県内25市町のを受託するなどトップシェアを誇る銀行である一方、に本店を置く地方銀行としては預金・貸出金残高とメインバンク社数の全国シェアで中位に留まり、特に後者は北関東三県の地方銀行のうちではと共に1割以下である。 戦前に北部の中小銀行を吸収していたことにより、埼玉県(概ね・沿い)に16店舗出店している。 期になどと同じく、地場である栃木県内や東京拠点で開発などの不動産融資を拡大し、には預金量で地銀5位にまで登りつめたが、により化した。 拓銀・・など大手金融機関の破綻が相次いだ(平成10年)前後の金融不況は乗り越えたものの、2003年のにおいての資産計上監査を厳密化した結果、債務超過であることが判明。 同年11月にに指定されした。 2002年にはが解除されているが、金融システムへの影響を懸念してが全株式を強制取得ししたことで、定期預金ペイオフは回避された。 と連携した企業再生支援などによる処理の進捗や、栃木県内の一部の支店をリテール業務に特化したへの転換・集約などによる経営のスリム化を進め、(平成20年)7月に預金保険機構がへ売却し、破綻処理は完了した。 歴史 初代本店 逃げの足銀 (明治28年)、24歳の荻野万太郎が初代頭取として、当時の足利町(現)の業者を中心に創業。 以後、地区を基盤に発展する。 当時より地元密着・堅実経営で知られ、地元の繊維産業に対する融資は手形割引を中心とする短期貸出により行われた。 また融資に際しては、不動産担保は忌避され、担保物権の現金化が迅速に行える棚卸資産担保が好まれた。 不渡手形が生じた貸出先があると、行員が昼夜交代で会社の前に張り込み、棚卸資産を手に入れようとする他の債権者を追い払い、素早く処分したため、他行からは「逃げの足銀」「石橋をたたいても渡らない」と言われた。 (の前身)から派遣された(後に初代頭取となる)が実質的に経営の指揮をとり、(大正3年)5月に東京支店を開設。 地方銀行では初めて本部機能を東京に移し、情報収集機能を強化した。 との提携では大不況の到来を察知し、(大正9年)、融資額の実に3分の1を回収。 その後のによる貸倒被害を最小限に抑えた。 (昭和19年)までのにて、県内6行を合併・12行を営業譲受し、一県一行となる。 これ以降、歴代頭取は出身の遠田淳・藤松正憲・関根太郎、出身の岡一雄と、4代続けて東京財界出身者によって占められたが、彼らは、東京にて昭和金融恐慌を直接経験した世代であり、漫然たる融資を常に諌め足銀伝統の「地元密着・堅実経営」の姿勢を崩さなかった。 (昭和42年)、本店を県都・に移転。 生抜き頭取 しかし、プロパー行員からは"生抜き頭取"を望む声はかねてから強く、そんな中で衆目を集めていたのが向江久夫であった。 向江は、もともと出身、から卒で終戦時には。 後にに入学し在学中に司法科に合格したが、終戦時にであったためにより界には入れなかった。 (昭和22年)、27歳の時にの紹介で足銀に入行し、陸軍士官・東大卒・司法試験合格という華麗なる経歴は、(昭和23年)に懸賞論文で一位入選したことで、「足銀に向江あり」と全国に知れ渡り、将来の頭取候補と言わしめられるようになる。 その後、入行10年目の37歳で大阪支店長、39歳で東京支店長、(昭和40年)には43歳で取締役に就任。 自宅は東京都内に構え、役員就任以後は宇都宮にをしていた。 (昭和53年)には満を持して、初の生抜き頭取(当時の呼称は社長、その3年後に頭取へ変更)に就任し、(平成9年)に会長を退くまで19年に渡り経営者として足銀に君臨する。 1970年代にに対するとなり、同国と日本の銀行間での業務を取り扱いを開始。 には宇都宮市のの座を宇都宮支店から指定替えを受け、業務を介して栃木県内の自治体と関わりを深めることになった。 バブル経済 に差し掛かると向江頭取の号令により、当時の足銀は行内で「鶴翼作戦」(の胴体が栃木、頭は仙台・郡山、右翼が茨城、左翼は群馬・埼玉、そして尾は、東京・名古屋・大阪を指したという)と呼ばれる融資拡大路線を展開する。 後に、"融資効率化"と称して審査部門と新規営業部門を統合する本部機構改革を行い、野放図な融資姿勢を鮮明にする。 (昭和50年)に93ヶ店だった店舗数は、20年後には212ヶ店と2倍以上に増加し、(昭和60年)に2兆3000億円だった貸出金は(平成7年)には4兆8000億円となった。 当時の中曽根民活によるの追い風もうけ、・からやの・・といった観光業、・などに過剰融資を行い、ニュージーランドへ進出したやをはじめ、栃木県内に豪華絢爛な建造物が出現した。 地元で賄い切れない貸出金は埼玉・東京に流れ、一時、東京支店の貸出残高が宇都宮の本店営業部を抜き、都内支店(東京・日本橋・赤羽・・渋谷)の貸出金総額は1兆円を超えた。 つまり、地銀でありながら地元ので集めた資金を東京他県外で運用していたことになる。 さらに系列ノンバンクである(宇都宮)・足銀ファクター(宇都宮)・()・あしぎん()を通じて銀行融資では不適格な案件に対しても融資を積極的に行った。 当時、これに疑問を呈する向きは少なく、逆に「地銀の雄」「地銀の」などと賞賛された。 (平成元年)7月、向江は副会長に就任、翌年には足銀の預金順位は地銀第5位となり栄華を極めていた。 不正融資 後の経営破綻後、銀行に損害を与えた不正融資として116条1項に基づき、当時の経営陣に対して損害賠償訴訟が起こされたものとして次の2案件がある(出典 )。 埼玉県(現:)の荒川観光開発株式会社。 1988年に地元の土木業らが設立し会員制ゴルフ場を建設していたが、バブル崩壊により販売による土地取得費の回収すら困難な状況となった。 しかし、1993年12月に当時の専務2名が十分な担保を取らずに建設資金92億円の追加融資を決定した(融資総額119億円)。 11月に会員権700万円の「秩父キングダムカントリークラブ」として開業したが不良債権化した• 煉瓦窯 ()が重要文化財に指定されている1888年創業の株式会社シモレン()。 など建築材料の製造・販売を本業としていたが、1992年前後に当時の社長がクラブ事業へ進出を決定。 足銀は採算性や資力を考慮せず過剰融資(約100億円)を行い、1994年に入会金1千万円の「ロイヤルホースライディングクラブ 」として開業した。 シモレンは乗馬クラブ開業による赤字を隠蔽するためにするようになり、1999年に同社は足銀に謝罪。 これを受け、足銀は他の取引金融機関に対しては粉飾を秘匿とし、同社に約100億円の融資枠を設定した。 2000年9月にの担当が、秘匿のまま他の金融機関に同社のを引受けさせて融資額を減少させるよう融資第2部長らに助言し、足銀の2001年3月期決算でシモレンの不良債権を隠蔽しつつ中央青山は監査の適正意見を表明していた事が2005年10月28日になって報道された。 中央青山はやに対しても不祥事を抱えたことから2007年には解散に追いやられている。 経営危機と地元の支援 後に無理な拡大路線が災いしが増加。 1994年3月期決算では、破綻先債権額は632億円にも上った。 こうした経営不安から(平成9年)秋にはが発生、親密であった(現・)から1,000億円にのぼる資金調達や策公表、地元取引先の支援などで沈静化するまでに同年9月末の総預金は5兆3,740億円は、1年後には5兆856億円に急減し3,000億円近くもの預金が流出した。 1990年代に開設した埼玉県内の・や、乱脈融資の温床となった東京地区(渋谷・新宿新都心・日本橋・赤羽)の各支店を2000年までに近隣店舗に吸収させ撤退。 (平成11年)から2000年(平成12年)にかけ計3回にわたり総額1350億円の投入を受け、同年11月には自己資本の強化で6000万株の(1株額面500円、計300億円)を発行。 (平成13年) 処理を進め2003年(平成15年)3月期決算に回復を目標とする経営改善計画「あしぎん改善計画 プロジェクトA」を発表。 同年8月に地元財界人を中心に行内に経営諮問委員会を設置したが、景気低迷もあって健全化計画は思うように進まなかった。 2002年(平成14年)3月期決算予想は1101億円の大幅純損失となり 、優先株も無配とした(同期に・も追従し、整理回収機構を通じて金融庁の行使を受けている)。 (平成14年)1月に約300億円の普通株増資を行った(1株114円)。 一連の増資で異例となる栃木県および県内12市の自治体が総額10億2000万円の株をで引き受けた。 (平成12年)12月に親密融資先のがを申請(負債総額164億円)。 2001年(平成13年)10月には不正融資の舞台となったシモレンがを申請(足銀の不良債権額約130億円、翌年宣告)、上場企業で準メインバンクであったなど大口融資先のが相次いだした。 (平成14年)に『疑惑』がマスコミで取り上げられるようになると、同年4月に北朝鮮向けコルレス業務を取扱が少ないことを理由に打ち切った。 同年9月の以降、日本と北朝鮮を繋ぐ手段としてと並ぶ形でコルレス業務がクローズアップされるようになったが、マスコミが取り上げたタイミングでは前出の通りすでに取りやめていた。 (平成15年)3月には子会社・北関東リースとので「 」を設立し、同社の完全子会社となったが 、これは同3月期に単体で赤字だった同銀行のを果たす目的なのが明白であり、多くの批判を受けた。 経営破綻 「」も参照 (平成15年)3月期決算に関して、の立ち入り検査が同年9月2日から11月11日までの長期間行われた。 日本の夕刊紙・週刊誌も14日以降相次いで危ない地銀として経営破綻の虞を名指しで報じるようになった。 11月17日にが政府の支援を受ける方向に入った足銀の預金の引き上げを検討と報じられると、11月19日にあしぎんFG株価は100円を突破するなど乱高下するようになる。 11月27日、金融庁が検査結果を通知し、計上が過大であるとして2003年3月期時点でであると認定(この時点では非公表)。 を担当する中央青山監査法人(後の)と協議するも、2003年9月期の中間決算においてを計上しないよう通告 した。 これを受け、翌11月28日午前には朝刊・が『 政府、足利銀行へ公的資金投入へ 処理方式は現段階では未定』などとスクープ記事を配信し、東証はあしぎんFG株を売買停止としたが、あしぎんFG側は憶測に基づく記事として否定し、同日13時30分から売買再開となった。 しかし、同日の夕刊には『足利銀行に公的資金 政府、最終調整 金融庁検査で3月期債務超過 』などと一面記事になり、でも同日午後には『足利銀行への公的資金投入問題 栃木県知事 県民も冷静な対応を』と報じた。 そして11月29日(土曜日)早朝、金融庁の検査結果が2003年3月期決算時点で債務超過であったことが公となり、自主経営を断念せざるを得ない状態となった旨がニュース番組や新聞各紙の朝刊で報じられる。 一部の行員は朝に職場へ召集させられ、102条第1項の3号措置を受けることを通告させられたという。 その後、本店での取締役会で足銀ならびにあしぎんFGの9月期中間決算を承認。 21時から内閣総理大臣を議長とするがで開催され、(平成13年)に制定された102条第1項の3号措置による一時( )が決定された。 これに伴い、足利銀行および上場親会社のはをへ申請し、名実ともにした。 同日23時に本店で記者会見を開き、日向野善明頭取ら経営陣が総辞職した。 3号措置およびの発動は初で、加盟の(第1)地方銀行の破綻も現状唯一である(2011年時点)。 栃木県財界およびら地元選出国会議員は、102条第1項の1号措置(いわゆる「方式」、預金保険機構の増資による資金注入でそのまま存続できる)を要請(政府には株主を救済せよという声が寄せられた)。 しかし、りそな銀行の場合はの極端な低下という財務状況であったが 、当行は金融庁検査の段階で(がマイナス)が認められていた為、破綻処理とそれによる株主責任を選ばざるを得なくなった。 足利銀行単体の(平成15年)3月期決算の自己資本比率は(による見かけ上)4. (出典:「」読売新聞東京本社栃木版) 同年12月に預金保険機構の指名により出身のが頭取に就任。 また、預金保険機構が完全親会社のあしぎんFGから当行全株式を強制的に取得し、足銀とあしぎんFGは資本上無関係となった。 破綻後 預金は全額保護で引出請求も従前通り行われるため、ATM休日稼働日の11月30日(日曜日)および最初の窓口営業日となる12月1日以降、目立ったは発生しなかった。 しかしながら破綻により、・者向けを中心としたの一部をが取得(債権譲渡)し、新規融資が停止された上で同機構から融資先へ強引なが行われる等、の事例と同じく本拠地の地域経済への影響が見られた。 特にバブル期の過剰融資で改築・開業し、営業不振となっていたやなどの旅館・ホテル業では影響が深刻であり、の再生支援案件以外はほとんどがに追いやられ、により他者が不動産を獲得するパターンが続出した。 主ににおいても1980年代のバブル期前後に開業した施設(に集中)は時期到来と重なったことで、他社への売却による清算や倒産による経営断念が見られた。 また、当行をメインバンクとする11企業がへ再生支援を申請しているが、当該企業と連名で支援を申請した金融機関は当行が最多である。 主な支援入り案件はホテル四季彩(日光)や、金谷ホテル観光(鬼怒川温泉ホテル・名古屋金谷ホテル 等)、、栃木皮革が挙げられる。 経営責任 (平成17年)2月に足利銀行(池田頭取)は、貸倒引当金の過小引当てや繰延税金資産の水増しなど不正会計、荒川観光開発とシモレンに対する不正融資、2001年3月期決算における優先株の違法配当により銀行に損害を与えたとして116条に基づき、向江久夫・元会長ら歴代頭取3名を含む元役員13人を相手取り総額46億円の請求をに3件提訴した。 (平成19年)9月および2008年(平成20年)3月、柳田美夫元頭取ら元役員9人とは個人資産のうち当面の生活資金としての100万円分以外を処分し賠償に充てることで一部和解が成立(処分財産の無い1名に対しては申請により免責)。 和解調書には"重大な任務懈怠があった"として経営責任を認める文言が明記された。 荒川観光開発への追加融資では賠償請求権を譲受した整理回収機構が足銀に損害を与えたとして、実行役の元専務2名に対して損害賠償訴訟を提起し、2010年(平成23年)3月に宇都宮地裁が整理回収機構へ18億円の支払いを命じる判決 を下した。 被告人は上訴するも同年12月の二審東京高裁で棄却され賠償が確定した。 本件に対しては向江の監督責任も問われ、2009年3月に遺族が責任を一部認め、7000万円の賠償を整理回収機構に支払うことで和解している。 経営陣に対する刑事事件としての立件も検討されたが、経営陣が違法配当を部下に意図的に指示した証拠が得られず、また当時は業界内で繰延税金資産の計上に関する指針が明確でなかったとする専門家の意見があったため、刑事事件として立件されなかった。 粉飾決算を見過ごしたとして中央青山監査法人と担当会計士に対しても損害賠償請求を提訴していたが、2007年7月、足銀側が2億6500万円の和解金を受け取ることでが成立した。 一時国有化離脱へ (平成18年)11月2日、金融庁は受け皿(スポンサー)に求める基本的な条件を提示し、受け皿候補の公募を宣言した。 その後2段階の審査を経て、翌年9月21日に同庁は受皿の最終審査に入ることを発表、同年11月22日までに受皿候補より同行の企業価値評価を含む譲受条件等の提出を受けた。 二次選考を通過したスポンサー候補は次の通り• のを中心とした投資グループの出資で設立する持株会社(「野村グループ連合」)• が主幹事となって、・・および参加行(・・)を中心とした地銀と、、の出資で設立する持株会社(「地銀連合」)• (旧)を主幹事としたベンチャーキャピタル• このうち野村連合と地銀連合が出資額などでとなり、それ以外は資力や経済界の反発で落選となった。 当初は地銀連合が有力視されていたが、(平成20年)3月14日、金融庁は足利銀行を連合が設立する への売却を内定した。 株式譲渡額は1200億円。 一般的に破綻した銀行がスポンサーを得て再建する場合、新たに設立した銀行へ譲渡するか承継銀行に吸収されることにより銀行名が事実上改称されるのが通例であるが(、、等)、当行のケースでは・などと同じく創業時の法人格のまま親会社が異動するのみとなり、商号については足利ホールディングス側の意向で地域におけるネームバリュー等を考慮し、現行名を維持する方向となった。 (平成20年)、当行の株式を足利ホールディングスが取得したことで傘下に入り、特別危機管理体制から解放された。 常陽銀行との経営統合 「」を参照 沿革• 栃木県足利郡足利町(現・)に 株式会社足利銀行設立。 旧本店(現在の足利商工会議所所在地)で営業開始。 山田郡桐生町(現・)に第1号支店開設。 東京支店開設。 宇都宮商業銀行と合併。 宇都宮支店及び新石町支店開設。 11月 単独で栃木県金庫事務の取り扱い開始。 鹿沼興業銀行を実価で譲り受ける。 4月26日 烏山銀行を吸収合併。 益子銀行を吸収合併。 栃木農商銀行を吸収合併。 久下田銀行を買収し、合併。 黒羽商業銀行を吸収合併。 1937年 那須商業銀行を吸収合併。 預金1億円達成。 下毛貯蓄銀行を併合、栃木県内一行体制確立。 預金1000億円達成。 第二部から第一部へ指定替え。 2月 本店を足利市から宇都宮市に移転。 預金1兆円を達成。 貸出金1兆円突破。 貿易銀行(同国外貨管理法第5条の銀行)と「コルレス契約」締結、送金業務開始。 と共同で足利ダイヤモンドクレジット(後に「あしぎんディーシーカード」、現・「」)設立。 宇都宮市をから交替。 ニューヨーク支店開設。 初の海外現地法人「足利財務有限公司」設立。 3月 店舗数203(県内139、県外64、代理店含む)となり、200を突破。 11月 ロンドン支店開設。 3月 処理に伴い最終損失が919億円となり、創業以来初のを計上。 3月 劣後債で公的資金300億円を投入。 最終損益289億円の赤字。 ロンドン・ニューヨークの両支店を廃止し海外業務からすべて撤退。 11月 赤羽・新宿新都心の両支店を東京支店へ統合、東京は1店舗に。 3月 最終損失が1182億円で2期連続赤字。 4月 同行初の「パスカルブランチ」を大田原店3階に開設。 7月 インストアブランチ2号店を1階に開設。 による428億円の第三者割当増資が完了。 栃木県(3億円)と宇都宮市(1億円)からの協力も得る。 9月 1050億円の注入を申請、併せて経営健全化計画を策定(9月と11月に注入)。 8月 02年3月期決算で1100億円を超える最終赤字となる。 中期経営計画「プロジェクトA」をスタートさせリストラを強化。 名古屋支店を閉鎖し東京支店へ業務継承、から撤退。 1月 「プロジェクトA」でのサービスの一環で、同行では初の試みとして三が日に自行オンライン網・を休日扱いで稼働(・含む)。 1月 299億円の増資が完了(栃木県と12市も協力し6億2000万円を出資)。 宇都宮地区に営業店舗エリア体制を導入(本店エリアと宇都宮中央エリア、宇都宮東エリアと宇都宮南エリアは)。 新タイプの出張所「あしぎんえがおプラザ」がスタート。 3月 最終損益が1280億円の赤字に。 北朝鮮の銀行との「コルレス契約」を解除(送金業務打ち切り)。 以後、在日支店などが細々と業務を継続をすることになる。 北関東リース株式会社との株式移転による、金融持株会社「株式会社 」を設立、同社完全子会社となる。 8月 からを受け、業務改善計画を提出。 第百二条第一項第三号の認定を受ける。 特別危機管理開始決定の旨がにより公告される。 預金保険法の規定に基づきが全を取得し一時国有化。 国が選定した新頭取(OBの)就任。 7月 リテール機能特化型店舗「リテールセンター」を導入。 創業地の旧本店(旧足利支店、足利市通3丁目2757番地)を足利商工会議所へ売却発表。 仙台出張所を閉鎖し郡山支店へ業務継承、内から撤退。 あしぎんフィナンシャルグループより「あしぎんシステム開発」の全株式を取得、子会社化。 子会社の足利信用保証が「あしぎんディーシーカード」の全株式を取得。 金融庁は足利銀行をを中心とする陣営に譲渡する方針を決めた。 譲渡額は1200億円。 の子会社となり、特別危機管理体制から解放される。 毎月25日 特定日を除く に設定していた(・)利用手数料の無料枠を、全日105円ずつ引き下げ(平日日中を無料化)。 (福島県)とのATM出金利用手数料無料提携を開始。 勘定系システムをNTTデータ地銀共同センターに移行。 平日日中のコンビニATM(イーネット・セブン銀行)利用手数料の無料枠を、事実上撤廃 、2009年引き下げ前の額に戻す(ただし、利用可能時間が最大24時間に拡大される)。 その他、本支店ATMの営業時間も延長される。 13年ぶりの海外の拠点として駐在員事務所を開設。 足利ホールディングスが常陽銀行とによる経営統合を発表。 浦和支店内に同年下期に開設を予定する川口支店()の支店内支店を設置。 足利ホールディングスが常陽銀行と株式交換による経営統合について最終合意。 統合後の社名を「」とすることも発表。 足利ホールディングスが商号変更によりとなる。 足利銀行は常陽銀行などとともに、めぶきフィナンシャルグループの傘下となる。 - 信託業務の兼営認可を取得。 7月1日から業務を開始。 - 基幹システムを『Chance地銀共同化システム』への移行を完了。 勘定系システム として、第三次オンラインシステムは後の統合相手となるなど参加行と同じくがかつて使用していたIBMメインフレームを採用。 後継システムとして2003年4月に(当時)とが共同運営する「地銀共同化システム(通称・Chanceプロジェクト)」への参画を常陽銀行とともに表明していたが、経営破たんにより2005年に参加離脱を表明。 に後継システムとして系のに移行した。 10月の中期経営計画において、1月に常陽銀行(地銀共同化システム)のシステムへ統合する旨を公表。 1月6日に予定どおり移行が完了した。 個人向けサービス• 「あしぎんポイントサービス」 詳細は「内のあしぎんポイントサービス」を参照• への譲渡(一時国有化離脱)前後から、ほとんどの店舗で営業室(ロビーフロア)のレイアウトを改装し、を多用したインテリアとなっている。 個人向けの預金業務取引については基本的に1カ所のハイカウンターで全て受け付け、資産相談などは隣接する型のローカウンター「smile desk(スマイルデスク)」で取引する。 それまであしぎんカードが展開していた「」は募集停止となった。 アシカ バブル全盛期の(平成3年)1月に金融機関のテレビCMが解禁されると、のアシカショーで活躍するのバン(2011年5月没)が直立し、行員役の女性と するテレビCM「 アシカが、よろしく。 」が放映。 1991年(平成4年)後半からはとして売り出していた栃木県内出身のが登場。 (平成7年)まで時期を中心に放送され、一躍有名となった(参照)。 このCMはよみうりランドのアシカショー 2017年1月9日閉館 にセットを作り撮影されている。 が歌唱した調の(作詞:・作曲:小杉大五郎)は、1991年9月21日にCDシングル「アシカがよろしく」としてより発売された。 ジャケットはパンツスーツ姿の晴山とパスカルの着ぐるみとのツーショット写真で、振付け・メロディ譜付きの歌詞カードも付属している。 また、アシカ単独のCM(執務室風の部屋で机に寄りかかり、直立姿の横顔で窓の外を眺め、『あしかが、確か』のコピーが流れるもの)も放送された。 なお、は日本国内では水族館・動物園以外では飼育されていないため、ご当地とは無関係の動物である。 名前は「人生は考える葦(あし)である」を記したから。 総合口座通帳・普通預金磁気キャッシュカードや画面、ノベルティグッズ、「パスカルブランチ(現在は『ローンセンター』として存続)」などにイラストが長らく使用されていたが、(平成23年)のシステム移行による通帳類のデザイン変更でいったん廃止された。 また、2016年9月に開設されたの名称は「パスカル支店」となっている。 ギャラリー• 2018年12月26日閲覧。 129. 「」『共同通信』 2006年11月18日• 2005年に会員が株式会社秩父の杜カントリークラブを設立し、法的整理を行わず荒川観光開発から施設を取得することに成功し営業継続中。 シモレンの経営悪化により2000年に閉鎖。 2006年にのプラスチック製造加工業・北進産業により「渡良瀬北斗乗馬倶楽部」として再開業するも2012年10月に再び閉鎖され、同年12月から「栃木」として営業中。 「中央青山会計士が足利銀に助言」 2005年10月28日• 2013年8月12日閲覧。 「」『共同通信』 2002年2月9日• 「関東の某有名地銀、金融庁が国有化準備首相、総選挙にも決断? 債務超過なら破綻処理」夕刊フジ 2003年10月21日• 「あしぎんFGへの公的資金注入を検討中=米AWSJ紙」 2003年11月13日• 「」 2003年11月• 「あしぎんが100円回復 ムーディーズの格上げ検討が刺激に」株式新聞 2003年11月19日• 「あしぎんに検査結果を通知 監査法人と決算を協議へ」 2003年11月22日• 読売新聞東京本社 2003年11月28日夕刊• 131-132. 2006年に売却され、名古屋を経て、2013年から名古屋栄となっている。 「」『共同通信』2004年6月4日• 「」『共同通信』 2004年11月26日• () 2010年3月18日• 47NEWS(下野新聞) 2010年12月1日• 足利銀行 2007年7月2日. 2011年11月10日閲覧。 「」『東洋経済オンライン』 2008年3月24日• 「」『週刊ダイヤモンド』 2008年3月24日• 下野新聞. 2015年3月6日. 2015年6月9日閲覧。 プレスリリース , 足利銀行, 2016年2月4日 , 2016年4月1日閲覧。 PDF プレスリリース , 常陽銀行、足利ホールディングス, 2016年4月25日 , 2016年4月29日閲覧。 日本経済新聞. 2019年6月24日. 2020年2月5日閲覧。 「」『日経コンピュータ』 2008年4月4日• 下野新聞. 2019年12月28日. 2020年2月5日閲覧。 参考文献• 竹中平蔵 『構造改革の真実 : 竹中平蔵大臣日誌』 日本経済新聞社、2006年。 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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足利銀行もそうですが、銀行にかかる一般的な手数料としては「振込手数料」と「ATM利用手数料」の2種類に大別されます。 (ATMが使えない銀行も一部存在しますが) まず振込手数料ですが、自行(同じ銀行の口座)宛てと他行(他の銀行の口座)宛てで手数料が変わるという場合が多く、 更に多くの場合は振込む金額が3万円未満か3万円以上かでも手数料が変わってきます。 振込手数料については、 ネットから振込み<ATMから振込み<窓口で振込みの順で手数料が高くなる傾向にあります。 つまり、ネットで使えるように手続きをしておけば後々お得になるのです。 ATM手数料については、一般的に銀行内<コンビニ、平日の日中<それ以外で手数料が高くなります。 ただし、振込手数料も同様ですが銀行によっては所定の条件(口座に入っている金額などが一例)を満たすと 場所や時間を問わずに手数料が0円になることもありますので、足利銀行の手数料を公式HPで一度詳しく見てみて下さい。 足利銀行 インターネットバンキングへログイン 各銀行のネットバンキングにログインしようとすると、最近やれワンタイムパスワードだセキュリティソフトの導入だと かなりの注意喚起を促されるようになりました。 うるさいなぁと思って読み流す人がほとんどだと思いますが、各ネットバンキングがこれほどまでに注意を促すのには理由があります。 以前から、公式っぽく見せた偽サイトでパスワード等を抜き取るなどのネットバンキング被害が相次いでいましたが、 最近のネットバンキング被害はもっとタチの悪いやりかたで、なんと公式サイトにアクセスしているのに情報が抜き取られてしまうんです。 どういうことかというと、まず普通っぽく見える一般サイトにウィルスを仕込んでおきます。 そのウィルスが入った状態でネットバンキングのページを開くと、『パスワードの確認』などを名目に パスワードや秘密の質問を入力させるポップアップが表示されるというのが最近の被害の一例です。 自分が普段から使っているURLにアクセスしてまさか情報を抜き取られるとは思いませんから、本当にこれはタチが悪いです。 ユーザーの増加に比例して、ネットバンキング被害は年々件数や被害額が増えてきています。 ネットバンキングを使っているのなら、あなたの身近にあるもの、起こり得るものだと再認識しておくべきでしょう。 スポンサーリンク サイト内オススメ記事•

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A ベストアンサー 第三者の銀行口座に振込みしたい、ということですか? 質問者さんは何処かの銀行口座(キャッシュカード)を持ってますか? それともカードを持っていないので、手持ちの現金を振り込むのか? 振込みの方法は、大別して2種類ほど有ります。 ・自分の銀行口座から、相手口座に振り込む(口座間振込) ・現金を、相手口座に振り込む(現金振込) 振込手数料は口座間振込の方が若干割安です。 窓口やATMでの手続きの違いでも振込手数料は違います。 下記は三重銀行のATM操作の説明ページです。 これを使って簡単な説明をしてみます。 miebank. html カードを持っている場合は、あらかじめカードを使って、 自分の口座に振込み用の現金を入金しておいてください。 4 振込先の支店名を選択。 5 振込先の口座科目・口座番号を入力。 6 時間外手続きや一部のネット銀行口座あての場合は、 振込先の口座名義をカナ入力する場合が有ります。 8)~9 依頼人(あなた)の氏名をカナ入力、電話番号の入力。 カード振込の場合は、カードとレシートを忘れずに。 現金振込の場合は、お釣りとレシートを忘れずに。 手順や表記は少し違うかもしれません。 現金振込の場合は、有人店舗に備え付けのATMに限ります。 無人ATMの場合は、現金振込が出来ない機種です。 また現金振込の受付は、平日の昼間に限られます。 土日祝の場合はカード振込のみの銀行ATMが多いです。 参考URLの画像と、当方の説明で判らなければ、 実際に銀行に出向いて行員に操作を教わった方が良いですね。 ちなみに、ゆうちょ銀行の場合は、システムや操作が違いますので、 このアドバイスは無効となります。 気をつけて。 第三者の銀行口座に振込みしたい、ということですか? 質問者さんは何処かの銀行口座(キャッシュカード)を持ってますか? それともカードを持っていないので、手持ちの現金を振り込むのか? 振込みの方法は、大別して2種類ほど有ります。 ・自分の銀行口座から、相手口座に振り込む(口座間振込) ・現金を、相手口座に振り込む(現金振込) 振込手数料は口座間振込の方が若干割安です。 窓口やATMでの手続きの違いでも振込手数料は違います。 下記は三重銀行のATM操作の説明ページです。

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